彼女の名は恵美。
都会の喧騒に疲れ、しばしの間静かな山里で過ごすことにした。
古びた民宿に宿をとり、周囲の自然に身を委ねていた。
夜になると、月明かりが木々の間から差し込み、どこか神秘的な雰囲気を醸し出していた。
ある晩、恵美は趣味の一環として、自分の心の声を日記に綴っていた。
静かな夜、彼女はふと窓の外から何かを感じた。
何かの声が聞こえる。
静かな山の中、雑音はないはずだが、その声は明確に響いてきた。
最初はかすかなささやきのようだったが、次第にはっきりとした音に変わっていった。
「かえってこい…」それは女性の声だった。
恵美は恐れよりも好奇心が勝り、声の主を探ることにした。
彼女はゆっくりと部屋を出て、声のする方へ向かっていった。
声は、柔らかな風に乗って、彼女を導くかのように空気を揺らしていた。
声が響く方向へ進むにつれ、恵美の心には不安が募った。
何かが彼女を呼んでいる。
彼女は不安に駆られつつも、声に導かれるままに進み続けた。
やがて彼女は、あまり見えない古い神社にたどり着いた。
周囲は静寂に包まれ、彼女の心臓の音だけが響いている。
この神社には、過去に何か悲しい出来事があったのかもしれない。
「かえってこい…」声はさらに強まった。
恵美は驚き、少し後ずさりした。
しかし、彼女の心の奥底に響くその声には、何か忘れられた思いがこもっているように感じられた。
「私の声を、聴いて…」その声は悲しげに響いた。
恵美は一歩、また一歩と神社の中に踏み入った。
その瞬間、寒気が背筋を走った。
周りの空気が変わり、彼女は自分の周囲に異変を感じた。
神社の奥から、薄明かりが漏れ、彼女は気づいた。
その明かりの中に、一人の女性の姿が浮かび上がっていた。
彼女の目は空虚で、恵美をじっと見つめていた。
「私の名は美咲。私はここで戻ることのできない存在…」と、女性は告げた。
恵美はその声に心を打たれた。
美咲は、若い頃に命を絶った者らしい。
彼女は、未練を抱えているのだ。
その未練が、今もなお神社に囚われていることに気づいた。
「あなたは、私の代わりに昇ることができるかもしれない…」美咲は続けた。
彼女の声は、何かの真実を訴えているようだった。
恵美は、自分自身の心と向き合わなければならないのだと感じた。
自分の心に秘めていた不安や恐れ、過去の出来事、すべてから解放されるチャンスが与えられているのだ。
「戻りたい…でも、どうすれば…」恵美はつぶやいた。
美咲は静かに微笑んだ。
「それは、自分自身に向き合うことなんだ。心に秘めた思いを昇華させなくてはならない。」
美咲の言葉は恵美の心に深く響いた。
彼女はようやく、自分が抱えていた痛みや悲しみを解放することができると確信した。
自分自身を受け入れ、過去の自分にさよならを告げることで、後ろ向きな自分から解放されるのだ。
夜明けが近づく頃、恵美は心の中にあった不安を手放し、美咲に向かって微笑んだ。
「ありがとう、私自身を取り戻せました。」すると、美咲の姿は徐々にぼやけて消えていった。
彼女は恵美の心の一部として永遠に生き続けるだろう。
早朝のほのかな明かりの中で、恵美は神社を後にした。
自分の心には美咲の教えが刻まれていて、彼女は新たなる一歩を踏み出し、これからの人生を自分の力で生きていく決意を固めた。