その館は、古い歴史を持つ美術館に併設された邸宅だった。
名門の画家、佐藤健一が住んでいたこの館の壁には、彼が手がけた美しい絵画が立ち並び、そのひとつひとつが生きるような気を放っていた。
しかし、館には不思議な噂があった。
それは、様々な画が描かれた絵の中から、不意に落ちる何かがあるというものだった。
ある晩、友人の誘いでその館を訪れたのは、大学生の田中真美だった。
彼女は美術に興味があり、特にこの館の作品を生で観ることを楽しみにしていた。
しかし、館に足を踏み入れた瞬間、彼女の心には何か不気味な感覚が広がった。
重苦しい静けさと、冷たい気が流れ込む。
作品が並ぶ廊下を進むにつれ、何かが彼女を呼んでいるような感覚がした。
真美が一つの絵の前に立ち止まると、その絵は鮮やかな花々が描かれたものだった。
色とりどりの花は一見すると美しいが、どこか不吉な空気を漂わせていた。
彼女がその絵をじっと見つめると、ふと頭上から何かが落ちてきた。
それは、まるで絵から抜け出してきたかのような一片の花びらだった。
真美は驚いて周囲をキョロキョロしたが、誰もいない。
彼女は不安を覚えたが、好奇心が勝り、再び絵に目を戻す。
すると、次第に彼女の周りに気配を感じ始めた。
薄暗い館の中、どこかから彼女を見つめているような感覚がしたのだ。
その後も、彼女は絵画の前で同じ現象を目の当たりにすることが続いた。
絵から次々と花びらが舞い落ち、時にはその花びらがまとわりつくような気がして、真美は心臓が早鐘のように打ち始めた。
彼女は思わず一歩後ずさりしたが、その時、絵の中に描かれた花々が次第に色を失い、白黒になっていくのを目撃した。
「いったい何が起こっているの?」真美は自問自答する。
館そのものが彼女に何を訴えかけているのか、彼女には分からなかった。
しかし、他の絵を見るたびに、同じように花びらが落ち、気配が感じられ続けた。
やがて、真美は一枚の絵の前に立ちすくむ。
そこには、一つの顔が描かれていた。
画家の自画像と思われるそれは、彼女をじっと見つめ返してくるようだった。
目が合った瞬間、真美は背筋が凍りつくのを感じた。
その顔が、まるで自分に何か伝えようとしているかのようだった。
「何か言いたいの?」彼女は絵に向かって問いかけた。
その瞬間、周囲の空気が一変し、館全体が震える感覚が彼女を襲った。
しかし、言葉は何も返ってこない。
ただ穏やかな風の音が、途切れ途切れに聞こえるだけだった。
館の中の温度が急に下がり、真美はこの場所から逃げ出したい衝動に駆られた。
彼女が後ろを振り返ると、絵の中の顔が微笑んでいるように見えた。
恐怖に駆られ、真美は一目散に館を後にした。
出口へ向かう道すがら、不気味な余韻が残り、彼女はこの出来事が何かの前触れであるかのように感じた。
その日以降、駅のホームや街中でも、彼女は時折、絵の中の顔を思い出すことがあった。
気配が消えたはずの館から、何かのメッセージが未だに彼女に向けられている気がしてならなかった。
そして、気が付くと、また花びらが近くに落ちていたのだ。
もしかしたら、彼女の心の中に隠れた”気”が、館に残された何かと共鳴しているのかもしれない。
絵の中の真実を求めることが、また一つの物語を生むのだろうか。
真美は、その館に呼び寄せられた理由を考え続けた。
彼女が再び、その館へ戻ることになるのは、そう遠くない未来のことだった。