「折れた木と消えた記憶」

ある町の片隅に、ひっそりと佇む「折れた木」があった。
その木は、長い間町のシンボルとして人々に親しまれてきた。
しかし、ある日、その木が不自然なほど真ん中で折れてしまったのだ。
それ以降、町の人々はその木を敬遠するようになり、想い出さえ忘れてしまった。

護という名の少年は、この町に住んでいた。
彼はこの木の近くで生まれ育ち、幼い頃からその存在を大切に思っていた。
折れた木には不思議な力が宿っていると信じていたのだ。
そこにほんの少しだけ立ち寄ることで、自分が無邪気だった頃の記憶がよみがえる気がした。
だが、最近ではその木を訪れる者は誰もいなかった。

護はいつも夜遅くに、静かな町を散歩しながらその木を訪れていた。
あの木の近くで過ごすことで、彼は心の安らぎを得ていた。
しかし、ある晩、彼が木の下に座っていると、何かがひっそりと彼を見ている気配を感じた。
振り返ると、そこにはかすかな影が立っていた。

「あなたは、ここを訪れているのですか?」と問いかけると、その影はゆっくりと近づいてきた。
目の前に現れたのは、女の子だった。
彼女の姿はその場の薄暗さの中で、まるで霧のように溶け込んでいるかのようだった。

「私は、昔、折れた木の下で毎日遊んでいた子供です。私の名前は夕美」と彼女は言った。
「でも、今はもういない。あなたのように木を訪れる者が少なくなってしまったから、私の記憶も消えていくのです。」

護は驚いた。
幽霊のように現れた彼女は、この町が廃れていく様子を見届けていたのだろう。
彼は少し恐れを感じながらも、思わず言った。
「それでも、僕はこの木が好きなんだ。思い出を大切にしたいと思っている。」

夕美の目がほんのりと輝いた。
「あなたの想いがあれば、私の記憶も折れることなく、壊れずに残るかもしれません。」

護は、夕美との会話がどこか不思議な感覚をもたらすことに気づいた。
彼女との出会いがもたらす安らぎの中で、彼は日々の孤独や町の変化を忘れかけていた。
しかし、夕美の姿は次第にかすれていき、その存在が薄れていくのを感じた。
「待って、夕美! どうしたら、君を消さずに済むの?」

彼女は小さく微笑んで、「あなたが折れた木を訪れ続け、私を想い出してくれる限り、私はここにいることができる。でも、もしあなたがその記憶を忘れてしまったら、私は完全に消えてしまう。」

その夜、護は夜空を見上げながら決意した。
自分がこの町にいることで、夕美や折れた木の思い出を守るのだと。
彼は彼女に約束し、毎晩欠かさず木の下を訪れることにした。
そして、繁り始めた日々の中で、町の人々とも折れた木の話を共有すべく行動するようになった。

しかし、時が経つにつれて、町の風景は少しずつ変わっていった。
新しい道路ができ、新たな建物が建設される。
町の人々は折れた木を訪れることがなくなり、護の努力も虚しく、記憶の中で夕美の姿は次第に遠のいていく。

ある晩、護が木の下に座っていると、彼の隣に夕美が現れた。
しかし、彼女の姿はかすかに揺れている。
「護、私の姿が薄れてきているわ。あなたの想いがあっても、この町が演じている現実の流れには逆らえないの。」

護は絶望感に襲われた。
「でも、僕は忘れたことはない! 君を消させたくない!」

「それでも、私を想い続けるだけでは不十分よ。みんなが忘れ去ってしまえば、私も終わりなの。」彼女の声には泣き濡れた悲しみに満ちていた。

その瞬間、護は気づいた。
夕美を救うためには、彼自身が行動し続けるだけでは不充分だ。
彼は折れた木の存在を町に広めることで人々の記憶に留めなければならなかった。

護は翌日、町の人々に声をかけ、折れた木の存在、その背後にある物語を伝え始めた。
始めは少数の人々しか耳を貸さなかったが、次第に関心を持つ者たちが増え、折れた木の周りに再び人々が集まるようになった。

護の行動は町の人々に再認識を促し、薄れていた夕美の存在も鮮明に蘇った。
しかし、それでも時間の流れは残酷で、町はさらなる変化を遂げていった。
ある日、護が木の根元に立つと、ふと見上げると夕美の姿が真っ白な光に包まれ、ゆっくりと消えていくのが見えた。

「護、思い出してくれてありがとう。私の存在は、あなたの心の中に宿り続けるから。」

そんな声が彼の心に響くとともに、彼は崩れ堕ちるような悲しみに包まれた。
彼自身の行動が町を変えたのに、その結果は皮肉なものであった。
それでも護は、夕美の想いを胸に、これからも折れた木を守り続け、彼女の存在を未来へと繋げる決意を固めていた。

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