彼の名前は健二。
彼は普段の忙しい生活から逃げるように、友人たちと一緒にキャンプに出かけることにした。
目的地は、北海道の奥深くに広がる森林にあるキャンプ場。
彼らは、自然を満喫するつもりで、日々のストレスを忘れることを期待していた。
その夜、星空の下で焚き火を囲みながら笑い声を上げていた彼らは、楽しい時間を過ごしていた。
しかし、ふとした瞬間、健二は一人でトイレに向かうことになった。
森の奥には、いくつかの小道があり、それらを通り抜けていかなければならなかった。
友人たちの明るい声から離れると、急に辺りが静まり返り、頭の中に不安が広がった。
トイレに向かう途中、彼は迷ってしまった。
暗闇に包まれた森は、あまりにも無情で、彼の心をざわめかせていた。
どの道を進んでも、方向感覚を失いかけていた。
すでに星も雲に覆われ、月明かりさえ届かない。
この不気味な静寂の中、彼は自分の足音だけが鋭く耳に残った。
その時、彼の耳に何かが聞こえてきた。
「健二…」その声は彼の名前を呼んでいた。
健二は驚いて周囲を見回したが、誰もいない。
ただ、木々のざわめきが彼の心をさらに不安にさせていた。
「誰かいるの？」そうつぶやくと、また「あそこの道を進んで…」という声が聞こえた。
迷っている彼に、見えない何かが案内しているのだろうか。
健二は半信半疑ながら、その声に導かれるまま信じられない気持ちで歩き続けた。
道はだんだん狭くなり、周囲の景色が変わり始めた。
見知らぬ場所に出た彼は、その時、何かがおかしいことに気がついた。
周りには不気味な影が漂い、目に見えない存在が彼に迫っているように感じた。
「健二…戻らないで…」その声が、今度はささやくように耳元で聞こえた。
彼は逃げ出したい気持ちを必死に抑えながら、声の主を求めた。
心は恐怖でいっぱいだが、何かに引き寄せられるように、さらに道を進むことになった。
どこかで聞いたことのある、忘れかけた記憶が蘇ってくるような感覚に襲われた。
彼が進むにつれ、周囲の景色は薄暗く、影の動きがはっきりと見えるようになっていた。
足元は不安定で、いつ何が起こるか分からなかった。
突然、彼は後ろで「もう一度、私を思い出して…」という声を聞いた。
その瞬間、彼は気を失いそうになった。
誰の声か、思い出せないまま、彼の心に強い懐かしさが押し寄せてきた。
健二は、幼い頃に失った友人の存在を思い出していた。
親友の渉が、遊んでいる最中に事故で亡くなったことを。
同じように、一緒に遊び、笑い合っていたあの日々が、彼の胸を締め付ける感情を引き起こした。
「戻れない…私を忘れないで…」声はさらに切実になっていく。
迷い込んだ先で、健二は自分の記憶の中で、一番大切なものを思い出していた。
彼は必死にその影を引き寄せようとしたが、影は手の届くところにはいなかった。
気がつくと、彼は自分の周りを取り囲む影たちと対峙していた。
逃げることは許されず、彼はただその場に立ち尽くすしかなかった。
「忘れられたくない…」その思いが、彼の心から静かに溢れ出した。
声は再び優しく、まるで彼を包み込むようだった。
彼は思わず涙を流し、「渉…お前のことは忘れない」と無意識につぶやいた。
その瞬間、すべての影が彼の周りから消えた。
気がつくと、彼は再び焚き火の明るさの中に戻っていた。
友人たちが心配そうに彼を見ている。
「どこに行ってたんだ？」彼は何も答えられなかった。
ただ、胸の中には一つの確信があった。
彼はもう迷うことはない。
大切な思い出は、いつまでも消えることはないのだと。
