彼の名は裕介。
裕介は、出張先の並の町で不思議な体験をすることになった。
この町には、まだ世間に知られていない霊の話が多かった。
彼は仕事仲間に連れられて飲みに行った際、うわさ話に耳を傾けることとなる。
「この町には、不幸を呼ぶ手の霊がいるんだって。」同僚の一人が言った。
「夜になると、運の悪い奴はその手に取り憑かれて、何かあったりするらしい。」
「ふーん、面白そうだね。」裕介は笑って返しつつも、その話が心の奥にひっかかっていた。
仕事が終わり、部屋に戻る途中、裕介は急に不安な気持ちに襲われた。
周りの静けさが、異様に感じられる。
その晩、裕介は夢を見た。
薄暗い道を一人で歩いていると、不意に彼の目の前に、不気味な手が現れた。
じっと彼を見つめるその手は、影のように黒く、まるで動きを待っているかのようだ。
裕介は恐怖心から逃げ出そうとしたが、足が動かない。
恐ろしいことに、その手は彼の方に伸びてくる。
「運が悪いね、裕介。」その声は、どこからともなく響いてきた。
夢の中で、裕介は自分がその霊に取り憑かれてしまったことを理解した。
だが、目を覚ますと、手の幻影は消えていた。
翌日、険しい仕事の中、裕介は周りの状況が少しおかしいと感じた。
細かいミスが続いたかと思えば、急なトラブルが襲い掛かる。
彼はそれが霊の仕業だとは思わなかったが、仕事のストレスから少しずつ自分を追い込んでいく。
数日後、出張が終わり帰ると、少しずつ運が元に戻り始めた。
だが、その日、裕介はまた不運に見舞われてしまう。
仕事終わりに足りないものを買いに行くと、後ろから急に声をかけられた。
「運がついてきたようだね。」振り返ると、黒い服を着た中年男性が立っていた。
裕介はその顔を見た瞬間、血の気が引いた。
あの夢の中の手、そしてあの声音、全てが同じものだった。
「あなたは…。」裕介は言葉が出なかった。
男はにやりと笑い、手を伸ばしてきた。
「運や果たさなければならない約束を持っているんだろう?」裕介は、彼が何を言おうとしているのか、すぐに理解した。
自分の約束を思い出した。
仕事や友人との約束、そして自分が背を向けてしまったものたち。
裕介は思いを馳せる。
そうだ、彼はこれまで直面してきた数々の約束を果たしていなかった。
彼は運が悪いとばかり思っていたが、不運の正体は、自分自身の中にあったのだ。
「どうするつもりだ?」男は静かに訊ねた。
「あなたがこの町に残るつもりなら、その手に還ることになる。」裕介は決意した。
「もう、裏切らない。」それは、自分の心からの答えだった。
その瞬間、男の表情が変わった。
暗い雰囲気がふと消え、裕介はスッと軽くなる。
男が手を下ろしたとき、西の方から明るい月が昇り、彼を照らしていた。
裕介はその瞬間、運が自分の手に戻ってきたことを実感した。
彼の中にあった不安が静まり、未練なく一歩前に進む勇気を持った。
約束を果たすため、彼はもう一度、足を踏み出すことにした。
今日は自分の運命を変える日、自分の過去に向かって歩き出す日だった。
彼は、あの手が欲しかった運の象徴だったことを理解し、心の底から感謝した。