大学で歴史を専攻する佐藤は、卒業論文のために古い資料を調べる過程で、ある地元の伝説に出会った。
それは、かつてこの町で人々が牲を捧げていたという話であった。
彼の興味を引いたのは、その牲が何であったかという点だった。
資料によれば、時代は明治初期、村人たちは川を挟んだ山の向こうに住んでいる邪霊による災厄を避けるために、数年ごとに若者を一人、生け贄として捧げていた。
そして、お礼として収穫の恵みが訪れると信じられていた。
その伝説は忘れ去られたと思われていたが、佐藤は何かが彼を駆り立て、この話の真相を探求しようと決心する。
佐藤は村の年配者に話を聞くことにした。
村の外れに住むおばあさん、山本は言った。
「あんた、それについて知りたいなら、やめたほうがいいよ。この村には、いまだにその影が残ってるから。」彼女は恐ろしい目をし、おそるおそる続けた。
「生け贄となった若者は、結局救われない。時が経てばその影が動くと言われている。」
半信半疑だった佐藤は、一層その影に惹かれ、行動を開始する。
彼はその生け贄にされていた若者の名前を調べ、その人がどこに住んでいたのか、そして何が起こったのかを特定しようとした。
文献を探し続けるうちに、その若者、名は信介という、彼と大学同期であるような名前だということに気づく。
信介は、同じゼミで彼と同じ興味を持つ存在だった。
ある晩、佐藤は意を決して山の向こうの川へ行くことにした。
彼は光源もなく、ただ月明かりを頼りに古い神社を目指す。
神社には、重要な祭りの前に行われた儀式の痕跡が残っており、彼はその地に立つことで、少しでもこの伝説に近づけた気がした。
しかし、そこで佐藤が感じたのは、何かが彼を見つめているという感覚だった。
彼は緊張のあまり身を乗り出した。
すると、突然風が吹き、霧が発生した。
不気味な静寂が周囲を覆い、彼はその中で一際大きな影を見た。
影はゆらゆらと動き、形を成してゆく。
見る間に、その影は若者の姿をとった。
「助けてください…信介です。」その影の声は、かすかに響いた。
佐藤は驚愕した。
信介の声が聞こえるとは、決して思っていなかった。
そして、影は続ける。
「私を助けられないなら、あなたが生け贄になる。」恐怖に駆られた佐藤は、逃げようとしたが、その足は動かなかった。
彼は、その影が指し示す先に目をやる。
そこには古びた祭壇があり、怨念が渦巻いていた。
佐藤はこの状況が自分の意志とは無関係であることを理解した。
時代が異なっても、この影は生き続け、何かを求めている。
彼は思わず信介に向かって、「どうしたら助けられるの?」と叫んだ。
すると、信介の影は微笑んで言った。
「ただ、生け贄の祭が途切れることを願って、私の存在を忘れないで。」
佐藤は彼の言葉を胸に刻み、意を決して周囲の人々にこの伝説を語り始めた。
村の人々にとって、その影はただの昔話ではなく、真実として受け止められるべきだと。
でも、それができたのは一夜の出来事。
その後、彼は村を訪れることはなくなり、生け贄の伝説そのものも次第に忘れ去られていった。
しかし、彼が正気を保って生きている限り、時折思い出す信介の影は、やはり心の片隅で動き続けていた。
伝説が新しく変わらぬ限り、犠牲は続くのだと、彼は無意識に教師や友人に話したことを思い出す。
生け贄の影は、今もこの町のどこかで、欲する何かを待っている。