「香りの記憶」

ある晩、静かな町の片隅にある閉ざされた廃館で、友人たちと肝試しをすることになった。
参加者は、タクヤ、ミホ、そして私のユウジの三人。
久しぶりの集まりで、心は弾んでいたが、廃館に近づくにつれて、何か重たい空気が漂っているのを感じた。

「これ、本当に入るの?」とミホが不安そうに呟いた。
彼女はいつも好奇心旺盛で、肝試しには自信を持っていたが、廃館の独特な雰囲気には何かを引き寄せる不気味さがあった。
タクヤが玄関のドアを押し開けると、カラカラと音を立てながらその扉は開き、古びた匂いが鼻を突く。
湿気と埃、そしてほんのりとした甘い香りが混ざり合った感覚を、私たちは同時に味わった。

中に入ると、長い廊下には割れたタイルやほこりを被った家具が散乱していた。
静寂の中に微かに響く音が心を落ち着かせるようで、逆に緊張感を高めていた。
「大丈夫だ。何か見つけたら、一緒に楽しもう」とタクヤが言うと、私たちはその言葉に後押しされるように進んでいった。

進むにつれて、空気はさらに濃くなり、どこかしらカビ臭さとも異なる、独特な匂いが漂ってきた。
まるでこの館に住んでいた誰かの存在が、私たちを呼び寄せているかのように感じた。
そんなとき、突然、廊下の奥から「ユウジ、こっちに来て!」という声が耳に入った。

振り返ると、タクヤとミホは私の目の前に立っていたが、彼らの顔はどこか驚いていた。
私たちは声の出所を探しに奥に向かうことにした。
声が聞こえた場所に近づくにつれ、匂いはさらに強くなった。
どこか懐かしい気持ちになり、私の心に薄っすらとした記憶の断片が呼び起こされた。
それは、子供の頃に遊んだ公園の花々の香りだった。

「どうしたんだろうね、この匂い」とタクヤが言うと、ミホは「まるで誰かの思い出が、私たちを導いているみたい」と応じた。
その瞬間、私たちの目の前に古いカーテンがかかった部屋が現れた。
部屋の中は薄暗く、カーテン越しに微かに光が漏れていた。
私たちは息を呑みながらカーテンを開けた。

すると、目の前に広がった光景は信じられないものだった。
そこには長いテーブルがあり、その上には無数の美しい花が生けられていた。
それぞれの花から漂う香りが混ざり合い、幻想的な空間を生み出していた。
私たちはその光景に目を奪われ、思わず身動きが取れなくなった。

その時、誰かがテーブルの向こう側でこちらを見ていることに気づいた。
その人は、白いワンピースを着た女性だった。
彼女は微笑みを浮かべ、手招きをしていた。
「あなたたち、やっと来てくれたのね」と彼女は言った。
私たちは戸惑うが、彼女の声に何か引き寄せられるのを感じた。

その女性の存在に惹かれ、私たちは恐怖を忘れてテーブルに近づいていった。
彼女の正体は、この廃館に封じ込められた思い出のように感じられた。
彼女は過去にここで生きていた人々の記憶を宿しているようだった。
私たちもその一部になりたくて、言葉を交わそうとした。

しかし、その瞬間、何かが崩れ去るような感覚が襲った。
廃館全体が揺れ、花々は舞い上がり、匂いは消えた。
目の前の女性も急に消えてしまった。
私たちはその場に取り残され、呆然とするしかなかった。
飛び散った花びらが広がる中、私たちはただ立ち尽くしていた。

不意に、背後から何かの気配を感じた。
振り返ると、やはりそこにはカーテンがかかった部屋だけが佇んでいた。
私たちは逃げ出そうとし、急ぎ廊下を駆け抜けた。
あの女性との不思議な出会いが夢だったのか、本当に存在していたのかは分からない。
ただ、そこで感じた匂いと温もりは、私たちの心の中に深く刻まれて残った。

廃館を後にしながら、私たちは一つの約束をした。
「あの匂いを忘れないように、またここに来よう」と。
あの夜の出来事は、私たちの中で何かを融かし、私たちを結びつけた。
私たちはただの友人ではなく、かけがえのない思い出の共有者になったのだ。

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