「孤独の手が呼ぶ夜」

夜も更け、静まり返った町の片隅にある古びた喫茶店。
そこに訪れるのは、若いカップルの裕也と真紀だった。
店の外観は風格があり、いい香りが漂っているが、訪れたのは彼らにとって初めての場所であった。
何か特別な体験ができると期待して、心を躍らせながら入店した。

席に着くと、裕也はメニューをじっと見つめた。
「ここ、コーヒーが評判みたいだね。」真紀も頷き、彼女もその香りに惹かれていた。
メニューを選んでいる間にも、店内の様子が気になった。
壁には古ぼけた絵がいくつか飾られており、その中には特に不気味な絵があった。
二人の目を引いたのは、「孤独な手」と題された作品。
暗闇の中に一つの手だけが浮き上がるように描かれており、まるで自分を求めているかのように見えた。

コーヒーを待つ間、裕也はその絵について話し始めた。
「この絵、なんだか不気味だよね。手が一つだけって、何か意味があるのかな。」真紀は少し怖がりながらも、「たぶん、孤独を表現しているんじゃないかな。」と答える。

その瞬間、ふと店内の照明が揺らぎ、冷たい風が二人の肩をかすめた。
裕也は恐怖を感じながらも笑って言った。
「ただの風だよ、気にしないで。」しかし、真紀は何かが変わったと感じた。
空気が重くなり、彼女の心に不安が広がっていった。

コーヒーが運ばれてきた。
しかし、彼らの視線は再び「孤独な手」に向かう。
裕也が冗談半分に言った。
「この絵に触れたら、何か起こるんじゃないか?」真紀は笑ったが、その目には明らかな不安が見えた。
「そんなことないよ、怖がらないで。」

裕也は、逆に気になってしまい、思わず絵に手を伸ばした。
その瞬間、彼の手が絵の中に吸い込まれるかのように消えてしまった。
真紀は驚き、叫んだ。
「裕也!?」裕也は目を見開いて何かを感じていた。
「手が…!この手が…!」彼は感じた。
何かが彼を引き寄せようとしている。

「助けて!」と裕也の声が響くが、真紀はじっとその場から動けない。
彼女は周囲を見回したが、他の客は誰も目を向けず、まるで二人の存在すら無視しているかのようだった。
真紀は裕也の手を取ろうとするが、何も掴めない。
まるで彼が空気の中に溶け込んでしまったかのように。

裕也は必死に叫んだ。
「真紀、君がその手を引き戻してくれ!頼む!」しかし、真紀は身動きできない。
その心の底で何かが警告していた。
あの手はただの絵ではなく、何かに誘われるように待ち続けている存在だということを。

その時、ふと真紀は気づいた。
あの「孤独な手」は、実は他の客にも存在したのだ。
他の絵の中にも、同じように手が描かれていたことを。
彼女は恐怖に包まれながらも、次第にその真実を理解していった。
この喫茶店は、訪れる者の孤独が具現化される場所。
手を求めて、次々と人を呑み込んでいるのだ。

裕也の声が次第に小さくなり、彼女は気づいた。
もう彼は戻ってこない。
心の底から恐れを感じ、真紀はその場から逃げ出した。
彼女の背後で、喫茶店のドアが静かに閉まった音が響いた。
どこに行っても、あの手が彼女を追いかけているような感覚が消えないまま、彼女は夜の町をひた走った。
彼女の心の中には、あの絵が残り、二度とそこに戻ることはないだろう。

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