「忘却の家とひかりの憶」

かつて、静かな村の外れにある古びた家には、日が沈む頃になると誰も近づかないという言い伝えがあった。
誰も住まなくなったその家には、幾度かの異変が伝えられており、住民たちはその地を「忘却の家」と呼んでいた。
彼がその家に足を踏み入れたのは、ささいな好奇心からだった。

彼の名は悠斗。
大学生の彼は、友人たちからこの伝説を聞き、その真相を確かめるために肝試しのつもりで「忘却の家」へと向かった。
夕暮れ時、紫色の空が徐々に暗く変わっていく中、悠斗は家の前に立った。
その古い木の扉を開けると、さまざまな思い出が詰まった空気がただよう空間が広がっていた。
長いこと閉ざされていたのだろうか、埃が舞い、薄暗い室内からは嫌な霊気が感じられた。

悠斗の心はワクワクした感情と、不安な気持ちが交錯していた。
ぼんやりとした光に照らされた部屋の中を歩きながら、彼はふと窓の外に目をやった。
日が急に沈み始め、周囲が急激に暗くなっていく。
そこで彼は、自分がここに来た理由を思い出した。
かつて、この家に住んでいたという少女ひかりの話を聞いたことがあった。
彼女は、村の人々に忘れ去られた存在で、愛されることなく亡くなったという。
そして、彼女の憶(おもい)は、家の中に残されたままだと言われている。

悠斗は好奇心からひかりに近づこうと、二階へと足を運んだ。
階段の音が薄っすらと響き、その音の中には、彼の不安感が紛れ込んだようだった。
二階の部屋は、一つだけ扉が開いていた。
そこから漏れ出るかすかな光に、心を惹かれながら悠斗はその部屋へと近づいた。

その部屋の中に入ると、彼は目の前にあった人形に目を奪われた。
古びた人形は、まるでひかり自身の姿を象っているかのように思えた。
悠斗はその人形を手に取り、思わず喋りかけた。
「ひかり、君のことを知っているよ」。
そんな言葉を口にするや否や、急に部屋の温度が下がった。
彼の背筋に寒気が走り、思わずその場から距離を置こうとした時、ひかりの声が耳に響いた。

「私を、忘れないで…」

その声は徐々に明確になり、悠斗の目の前に一瞬の幻影が現れた。
それは涙を流す少女の姿で、まるで彼に何かを訴えかけているようだった。
悠斗は身動きが取れず、その存在の真実を理解するために意識を集中した。
彼女はかつて、この家で生きた存在であり、今もなお、「忘却の家」に憶えられていないことを悔いているのだ。

部屋の壁にかかった古い絵が突然揺れ、悠斗は恐怖で目を閉じた。
閃光が走り、現実と幻想が交錯するかのような感覚が広がった。
その瞬間、悠斗の記憶の中に、見知らぬ風景が広がった。
彼が過去に体験したことのない景色、見たことのない風景と、ひかりの笑顔が浮かんでくる。
彼は自分がひかりの存在を知り、彼女のことを忘れることができないことに気づいた。

その瞬間、悠斗の心の中で何かが弾け、彼は自分の存在、彼女の存在、そして人々を忘れ去ることの恐ろしさを理解した。
あまりにも多くの人が、愛されることもなく、この世から消えていく。
悠斗は涙が止まらなかった。

彼はその場を離れ、家の外へ飛び出した。
心臓がドキドキと音を立てる中、彼は背後に感じた温かな気配を振り返った。
その瞬間、ひかりの微笑みが頭の中に浮かび、彼女がいつまでも自分の心の中で生き続けていると感じた。

悠斗は、彼女の存在と、忘却の家の秘密を抱えたまま、明かりの灯る村へと帰っていった。
日が沈む頃、彼は確かに、憶えていたものに気づいていた。
忘却の家は存在し続け、彼の心の中に新たな記憶を刻み込んだのだった。

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