「堕ちた喫茶店の影」

廃れた街のはずれに、かつて賑わっていた一軒の喫茶店があった。
しかし、今では長い間閉ざされたまま、朽ち果てていく運命にあった。
その周囲には、使用されなくなった器具や食器が散乱し、壁にはカビが生えていた。
日差しが差し込むこともなく、薄暗い空気が漂っていた。

ある日、犬好きの亮(りょう)は、廃屋となった喫茶店の前に立ち尽くしていた。
彼は、廃墟探検の趣味を持っていたが、今日は特に心惹かれる何かを感じていた。
屋根の崩れたこの場所は、かつて何を思い出させてくれるのか、彼にはわからなかった。

亮は、好奇心に駆られて喫茶店の中に足を踏み入れた。
その瞬間、冷たい風が彼の背中を撫でるように通り過ぎた。
店内はほぼそのままの形で残っており、テーブルや椅子が並んでいたが、そこにはかつての温かみは全くなかった。
テーブルの一つに乗っていたカップは、氷のように冷たく、亮は不気味さを感じた。

ふと、彼は一匹の犬がいることに気が付いた。
犬は黒く、その体は薄汚れていて、まるで廃屋の一部となっているかのようだった。
しかし、目は不気味なほどに人間のように知恵が宿っていた。
犬は亮に視線を向け、微かに吠えた。

「君もここにいるんだね?」亮は思わず声をかけたが、犬は返事をしない。
ただ、彼の方をじっと見つめている。
その視線の奥には、暗い何かが潜んでいるような気がした。

亮は更に奥へと進み、カウンターの方に向かった。
そこで彼は、もう一つの異様な光景に直面する。
それは、過去の映像が映し出されたような現象だった。
彼の目の前に現れたのは、かつての喫茶店の繁盛した頃。
笑い声や楽しそうな話し声が響いていた。

しかし、次第にその映像は歪み始め、彼は次第に不安を感じた。
映像の中で、犬が喫茶店の客たちに近づいていく姿が映し出された。
それから、彼らは何かへと堕ちていく様子が見えた。
楽しそうに笑っている顔から、次第に苦しさを帯びた顔に変わっていく。

亮は、その犬こそがこの場所に囚われている者たちを堕とす存在だと理解した。
彼は息を呑み、後ずさりした。
すると、犬もそれに応えるように一歩近づいてきた。
目の前に立ちはだかるその犬は、まるで彼を誘うように見えた。

「行きたくない…」亮は声にならない声を発した。
だが、犬の目は彼を捉え、抜け出すことを許さなかった。
彼はその場に立ちすくみ、頭の中に映像が繰り返し流れ続ける。
彼の身体はまるで引き寄せられるように、犬との距離を縮めていく。

そのとき、喫茶店の薄暗い空間の中に、誰かの声が響いた。
かつての客たちの声だった。
「ここは堕ちた者たちの世界だ。何も感じず、ただ生き続けることが罰なのだ…」

亮は恐怖に駆られながらも、犬と目を合わせた。
そこには、彼自身が気付かない闇が宿っていた。
彼は過去の自分に引き戻されるように感じ、自身の足元で、かつての客たちと同じように無気力になりかけていた。

一歩、また一歩と犬に近づいていく。
しかし、彼の心の奥では、助けを求める叫びが響き続けていた。
その叫びに応える者は、もはやこの廃屋には存在しなかった。
ただ、暗闇の中で堕ち続けている者たちの悲鳴が風に乗って響いていた。

亮はその瞬間、自分がこの場に留まりたくないという意思を強く持った。
「私は、戻るんだ!」と心の中で叫んだ。
全力を出して、彼は廃屋の出口へ向かって走り出した。
その瞬間、冷え切った視線が彼の背中に突き刺さった。

彼は逃げ切れるだろうか。
心の中に巣食う恐怖と不安、そして過去の影を振り切り、亮は夜の暗闇へと駆け出した。
その後ろで、犬の冷たい視線が彼を見送っていた。

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