彼女の名は志保。
大学の演劇部に所属している彼女は、演技のプロとしての夢を抱きながら日々練習に励んでいた。
部の仲間と共に、彼女は毎晩大学の中古の小劇場で稽古を重ねていた。
この劇場は、古くから存在するもので、かつては多くの人々に愛されていたというが、今はすっかり廃れてしまった場所だった。
ある晩、志保が稽古を終えたころ、部員たちの間では、劇場にまつわる噂が流れていた。
「この劇場にいると、時々誰かの視線を感じることがある」と。
志保はその話を半信半疑で聞いていたが、そんなことを考える暇もなく、演技に集中することにした。
数日後、志保は稽古を終え、帰り道を急いでいた。
その時、彼女の携帯が鳴った。
友人からの連絡だった。
「志保、今夜一緒に飲まない?」と言われ、彼女は断る理由もなく、友人たちと合流することにした。
夜が更け、酒を片手に笑い合う志保たち。
しかし、志保の心の中には、いつも気になっていることがあった。
それは、演劇部の先輩である健二のことだった。
彼は些細なことで笑い、皆を楽しませる存在だったが、最近は何となく元気がないように見えていた。
彼女は、そのことを心配していた。
しかし、酒の勢いで志保はその場の雰囲気を楽しみ、とりあえずの不安を忘れようとしていた。
ふと気がつくと、皆がざわめきながら話している。
その話題もまた、あの劇場の噂だった。
「劇場に行くと、何かが見えるらしいって」と。
興味をそそられた志保は、思わず言った。
「行ってみようよ、みんなで!」すると、友人たちも賛同し、半ば冗談半分で、劇場に向かうことになった。
小劇場に着くと、風が冷たく、暗い中に佇む古い建物が不気味に感じられた。
一行は恐れながらも中に入り、真っ暗な舞台を照らすために携帯の明かりを頼りにして進んだ。
演劇部の先輩たちが大切にする舞台道具が並ぶ中、志保は異常な気配を感じた。
「なんか、変な感じがするね」と一人の友人が言った。
その言葉が発せられた瞬間、暗闇の中から、耳を破るような大声が響き渡った。
「へぇぇぇ!」一瞬、全員が凍りつき、志保もその恐怖に圧倒された。
しかし、闇の中からは特に何も見えなかった。
恐怖心でいっぱいの彼女は、何とか思いを振り払おうとした。
しかし、暗闇の中で目が慣れたとき、志保は一瞬、何かを見た。
それは以前舞台上で見かけた深い苦悩が宿るような目だった。
それは健二の目だった。
志保は慌てて明かりを当てると、そこには健二の姿が立っていた。
しかし、彼の身体の周囲は何か異次元のような光景が広がっていた。
思わず「健二!」と叫ぶ志保。
その瞬間、健二は柔らかな笑みを浮かべたが、その目は何かが感じられず、冷たかった。
健二は一度目を閉じて、再び開くと、今度は真剣な表情になった。
「志保、忘れないで、君の演技が私たちを守るんだ。」
その言葉に志保は心が揺れた。
健二の無言の別れを感じながら、彼女の内なる思いが明らかになった。
それは忘れたくても忘れられない絆で、演技が彼を救うことが自身の役割だったのだということ。
しかし、次の瞬間、何が起こったのか志保はわからなかった。
健二はその瞬間、闇に呑み込まれ、消えていった。
怯えた志保は、友人たちとともに劇場を後にした。
しかし、彼女の心には、健二の言葉が響き続けた。
彼女は演劇を通じて自分自身と向き合い、彼の思いを引き継ぐ決意を固めた。
それは決して消えることのない絆のように、彼女の心の中に残り続けることになった。