「山に消えた兄の声」

天は、幼いころから山が好きだった。
豊かな緑と静寂に包まれたその場所は、彼女にとって心の安らぎを与えてくれるところだった。
しかし、ある日の登山で、彼女は自分の心の奥に隠された恐怖に触れることになった。

その日は、彼女が特に思い入れのある山を訪れていた。
幼い頃、両親と一緒に訪れたその山は、幸せな思い出の象徴でもあった。
だが、それと同時に、無邪気に遊んでいたあの日、兄が行方不明になったという悲しい記憶もあった。
兄は、その山の奥深くに入り込んでしまったのだ。
大捜索が行われたが、結局彼は見つからなかった。
それ以来、家族はその山を避けるようになり、天も長い間その場所から遠ざかっていた。

それでも彼女は、その山で過去を振り返り、兄の思い出に浸ろうとした。
山を登るにつれて、彼女の心は次第に高揚していった。
しかし、頂上に近づくにつれて、空気は重く感じられ、胸の鼓動が不安を告げているようだった。
それでも、何かを確かめたいという衝動に駆られて、彼女はさらに登り続けた。

ついに頂上にたどり着いた天は、周囲の景色を眺めながら両親と兄の思い出に浸る。
しかし、その瞬間、背後から冷たい風が吹き抜けた。
彼女が振り返ると、そこには一人の少年が立っていた。
彼の姿はぼんやりしており、顔がはっきり見えない。
天の心臓は跳ね上がった。
しかし、どこか懐かしい雰囲気を纏ってもいた。

「天、探していたよ…」その言葉は、まるで霧の中から響いてくるようだった。
天は瞬間、理解した。
目の前に立つ少年は、かつての兄、太一だった。
彼の声は、心に深く響いた。
胸の奥に秘めていた贖罪の気持ちが、彼女を揺さぶった。

「なぜ、いなくなってしまったの?」天の声は震えていた。
「ごめん、兄ちゃん…」思わず涙がこぼれる。
太一は言葉を返さなかったが、その静かな瞳が何かを語りかけているように感じた。
周囲の木々が揺れ、風が彼女の髪を撫でる。
自然の中で、過去と現在が交錯する不思議な感覚に包まれた。

「私のせいで、兄ちゃんがいなくなったんだ」と天は思わず口にした。
「行かなければよかった、行かせなければよかった…」彼女の心の内を吐露する。
一方、太一は言葉を贈ることなく、彼女の心の声を受け止めていた。
その存在は、彼女の心の贖罪そのもののようだった。

「大丈夫、私はずっとここにいるよ」太一の言葉は、彼女の心に温かさをもたらした。
彼女は一歩近づき、その手を伸ばそうとしたが、手が届くことはなかった。
太一は次第に霧に溶け込み、彼女の視界から消えていく。

「信じているよ、またいつか会えるから」と太一の声が風に乗り、彼女の耳に届いた。
その瞬間、彼女は気づく。
兄の存在は、もはや過去の象徴ではなく、彼女が贖うための強さの源でもあった。

天は心の中での和解を果たした。
自分の心が軽くなり、彼女は山を下りることを決意した。
今後は過去を背負うのではなく、兄の思い出を胸に抱き、前に進んでいくことを選ぶ。
彼女の心の中で、兄の姿はいつまでも消えずに輝き続けるのだった。

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