山深くにあるその村では、代々「天」と呼ばれる女性が伝説として語り継がれていた。
彼女は美しい容姿と優れた能力を持ち、人々を助ける存在であったが、彼女の力を嫉妬した者たちによって誹謗中傷を受け、最終的に山の奥の祠で命を絶たれてしまった。
村人たちはその後、天の怨念がこの山に棲みつくようになったと信じるようになり、彼女の存在を恐れ、そして忘れようとした。
数十年後、都会から引っ越してきた佐藤健太は、山の麓にある古い家を借りて一人暮らしを始めた。
彼は自然が好きで、都心の喧騒から離れることを望んでいた。
周囲の村人たちは彼に近づこうとはしなかったが、彼は気にせず自分の時間を楽しむことに決めた。
やがて彼は、山に登り、自然を楽しむ日々を送った。
ある晩、健太はふと、山の中から声が聞こえるのを感じた。
夜の静寂の中、風に乗って運ばれてくるその声は、悲しげで切ない響きを持っていた。
「天の声」と呼ばれるその声は、彼の心に深く刺さり、どうしても無視できなかった。
好奇心に駆られた健太は、声の正体を確かめるため、山の奥へと足を進めることにした。
深い森の中を進んでいくと、次第に薄暗い雰囲気が漂い始めた。
その時、彼はふと背後に視線を感じた。
振り返ると、誰もいないはずの場所に朧げな影が立っていた。
しかし、そこには誰もいなかった。
健太は無意識に一歩後ずさり、心臓が高鳴るのを感じた。
「ただの気のせいだ」と自分に言い聞かせ、再び前へと進んだ。
しかし、影は彼の行く手を妨げるかのように、その場から動かなかった。
それでも、健太は勇気を振り絞り、さらに奥へ進んだ。
すると、不意に視界が開け、彼はかつて伝説の天が祀られていたという古びた祠を見つけた。
そこには苔むした石と、朽ち果てた花が残されていた。
天への祈りがささやかに行われていた形跡があった。
健太は懐から水を取り出し、その場に花を供えようとした。
しかし、その瞬間、天の声がより鮮明に響いてきた。
「助けて…」その声は健太の心の奥に響き渡り、理解できない感覚をもたらした。
同時に、気がつくと目の前に現れたのは、白い衣をまとった美しい女性、彼女が天だった。
天の眼差しは悲しみに満ちていた。
「私を捨てた者たちが、今もここにいる。私の存在を恨み続けているの」と言った。
彼女の背後には、影のような存在が蠢いていた。
村人たちの怨念が、彼女をとらえ続けていたのだった。
「私を解放してほしい。それがあなたの役目だ」と天は健太に訴えかける。
彼は心の中で葛藤し、自分が何をするべきか分からなかった。
しかし、彼女の痛みや孤独が、彼の心に沁み込んでいくのを感じた。
「私がこの山を守るために誓ったことを忘れないで。そして、私の怨みを受け継がないでほしい」と天は続けた。
瞬間、彼女の周囲の影が彼の方へと迫ってきた。
彼の心に過去の怨恨が押し寄せ、恐怖が広がった。
その時、健太は思い立ったように叫んだ。
「あなたを解き放つことはできる。私があなたの呪いを受け入れる!」それが彼の苦悩だった。
健太は両手を広げ、そのまま影を受け入れようとした。
一瞬、身体が熱くなり、全ての感覚が消失した。
気がつくと、山の静寂の中に佇んでいた彼。
振り返ると、天の姿はすでに消えていた。
しかし、彼の心には強い決意が芽生えていた。
彼は多くの人々にこの物語を伝え、怨恨を断ち切ることを誓ったのだった。
それ以来、彼は村人たちと関わりを持つようになり、天の存在を語り継ぐ役目を担っていった。
村人たちも次第に彼に心を開くようになり、天の恨みは少しずつ薄れていった。
しかし、彼の日常にはいつも、あの切ない声が響いていたことを忘れなかった。
天は彼の心の中で、永遠に生き続けていたのだ。