「影に飲み込まれる夜」

満月の夜、健一は友人の誘いで古びたアパートの一室に足を踏み入れた。
室内は薄暗く、カーテンの隙間から漏れる月明かりが、壁や家具に不気味な影を落としていた。
その部屋には、数年前に住んでいた住人が失踪したという噂が立っていた。
興味本位で集まった友人たちの中には、健一の他に、真由美や悠斗、そして思い切った行動をすることで知られる恭子がいた。

「この部屋にいると、何かが感じられるって言うよ」と真由美が言い、彼女の声に少しの緊張が混じる。
悠斗は「ただの噂だろ。恐がる必要はない」と言い聞かせるが、その言葉には強がりが感じられた。
恭子は、古い風呂敷を広げ、恐怖心を煽るように話し始めた。

「聞いたことがある?この部屋で住人が影と一緒に消えたって。影が彼を飲み込んだっていう噂」恭子の目は暗さで光を失っており、彼女の言葉は次第に部屋の不穏な雰囲気を強めていた。

その時、突然、部屋の空気が変わった。
健一は何かが背後にいるような強い圧迫感を感じ、「ちょっと、あれ見て」と無意識に指さした。
皆が振り向くと、そこには薄暗い影が壁に映し出されていた。
まるで、誰かがそこに立っているかのように動いている。
その影は、次第に彼らの目の前へと迫ってきた。

「こんなの、ただの影だろ。怖がりすぎだよ、健一」と悠斗は言うが、その声音には明らかな震えがあった。
影はまるで生きているかのように、健一の心の奥底の恐怖を掻き立てていた。
健一は自分が孤独を感じていることに気づき、その孤独感が影と共鳴するかのようだった。

「もう帰りましょうよ、気持ち悪い」と真由美が声を震わせながら言った。
彼女の表情は明らかに青白くなり、健一の心にも恐怖が押し寄せた。
その瞬間、恭子が一歩前に出て、「私がこの影を受け入れてやる」と言った。
彼女の宣言に、室内の空気が一層重くなった。

その言葉を口にすると、恭子の身体が次第に影に吸い込まれるように動き出した。
彼女の目が虚ろになり、周囲の友人たちはその光景にただ茫然とするしかなかった。
「助けて、恭子!」悠斗が叫んだが、恭子の手は風のように消えていった。
影は彼女を抱きしめるように覆い尽くし、次第に彼女の姿は薄れていく。

「もう終わりだ……」恭子の声が壁に響く。
次の瞬間、彼女の姿が完全に消えた。
その場にいた全員が絶望と恐怖で固まり、動くこともできなかった。
残された影は、静かに室内に翳りを落とし、まるで恭子の魂を吸収するかのように揺れていた。

健一は暗闇の中で孤独を感じ、自分の存在を信じられなくなっていた。
次々と恐怖が押し寄せ、自分も、影に飲み込まれるのではないかと心の底から恐れ始めた。
悠斗も真由美も、ただ硬直し、目に涙を浮かべていた。
彼らは今、影の存在に取り囲まれ、逃げ場を失っていた。

「もう帰ろうよ……」健一が呟いたとき、その声はか細く、空気に溶け込むように消えていった。
結局、誰も返事をすることはできなかった。
影に覆われて、彼らの心は孤独に包まれていたのだ。
時間が経つにつれ、暗闇は彼らを一つの存在として飲み込んでしまった。

そして、満月が高く浮かぶ夜、健一たちの残した影はそのまま消え、無数の影だけがその部屋を取り巻き、再び静寂が訪れた。

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