ある冬の夜、山深い宿に辿り着いた咲(さき)は、静寂な空気に包まれた宿に心を奪われた。
長い旅路の疲れを癒すため、彼女は一泊を決め、宿の主である老女から鍵を受け取った。
宿は古くからの歴史を感じさせる木造の建物で、どことなく温かみがあった。
部屋に入ると、年代物の家具が配置されていて、少し暗めの照明の中で木の香りが漂っていた。
しかし、咲は何かが違和感を感じた。
壁に飾られた昔の絵画には、宿の宿泊客の姿が描かれていた。
その中には、一人の女性がいた。
彼女の目はどこか空虚で、咲はその視線に心を引かれているような感覚を覚えた。
その夜、咲は静かな眠りに落ちた。
しかし、夢の中で彼女は不思議な印を見た。
美しい花が閉じた蕾を持っている様子で、周りには薄暗い霧が漂い、人々の顔が浮かび上がる。
彼女は気付いた、これらは宿に宿る魂たちであり、今もなお何かを求めているのだと。
目が覚めると、宿の廊下に迷い込んでいた。
何もないはずの空間に、ぼんやりとした霊的な気配を感じた。
その中の一つが、咲の心の奥底を引き寄せるように、言葉を発した。
「私の心を知ってほしい。」
次第に、宿の空気が重くなり、咲の動悸は高まっていった。
恐れを感じながらも、彼女は先ほどの女性の絵画に引き寄せられ、宿の主に尋ねた。
「この宿には、何か特別なことがあるのですか?」老女は微笑み、静かに語り始めた。
「この宿には、長い間この地を守るためにいた魂たちがいるのよ。時折、彼女たちの心の中の未練が見ず知らずの人々に伝わることがある。彼女たちは自らの存在を知ってほしがっているの。」
咲は何かに気づいた。
その魂たちが求めているのは、忘れ去られた心の印であり、彼女たちの過去を受け入れることだと。
その瞬間、彼女は決意を固めた。
彼女は、たった一人のために、失われた記憶を取り戻す覚悟を持った。
再び眠りについた彼女は、夢の中で再び女性の魂に出会った。
彼女は今もなお、悲しみを抱えているようだった。
咲はその手を取り、心を込めて語りかけた。
「あなたの存在を忘れないよ。過去を受け入れ、あなたの心を解き放って。」
すると、彼女の表情が和らぎ、ようやく心の中の重苦しさが薄れていくのを感じた。
宿の中に、温かい光が満ち、咲は彼女の存在を感じた。
魂たちはかつて持っていた愛と悲しみを解放し、静かに安らかさを取り戻していった。
朝日が昇ると、咲は宿の主に微笑み、自分の心が浄化されたことを告げた。
「彼女たちは、今も私の心の中で生き続けます。彼女たちの思い出は、私が背負っていきますから。」
老女は優しく頷き、感謝の意を表した。
「あなたの存在が、彼女たちに新たな道を示してくれたのね。」咲は宿を後にしながら、背後に漂う不思議な気配に振り返った。
まるで彼女たちの魂が彼女に感謝を捧げているようだった。
これから咲は、この記憶を胸に新たな一歩を踏み出していくのだった。