迷宮の図書館

東京都内の小さな古書店。
店主の佐藤は、独特の雰囲気を持つこの店を愛してやまない。
薄暗い照明の下、様々な年代の本が並び、まるで過去の記憶を抱えたかのようだった。
ある日の閉店後、佐藤は新しい本の仕入れを行っていると、ふと目に留まった一冊の古びた本があった。
表紙には「迷いの書」とだけ書かれた文字が、薄い金色で光っている。

興味を引かれた佐藤は、何気なくその本を手に取り、ページをめくることにした。
ページには奇妙な筆跡で「迷い込んだ者は、帰る道を失う」とだけ書かれていた。
あまりにも不気味な内容にぞっとしながらも、彼はその本を購入することに決めた。

帰宅後、佐藤はソファに座り、再度その本を開いた。
読み進めるにつれて、徐々にその内容に引き込まれていく。
迷いの境地を描いた不気味な物語。
薄暗い場所で、不意に現れる影。
彼はその物語の中にある恐怖を、どこかで理解しているような気がした。

読み進めていると、突然周囲が異変をきたした。
薄暗い書斎の空気が重くなる。
部屋の隅から、何かが這い上がってくるような錯覚に囚われた。
佐藤は恐怖を感じつつも、ページをめくり続けた。
そこに描かれているのは、選択した者が永遠に迷い続ける様子だった。

その時、ふいに耳元で「あなたも迷うのですか?」という声が響いた。
驚いた佐藤は振り返ったが、部屋には誰もいない。
ただ、本のページが風に吹かれるように、ひらひらとめくれているのだった。

声が再び響く。
「本を閉じてはいけません。あなたの選択が、あなたを選ぶのです。」彼は意識を失いそうになり、必死に本を読み続けたが、言葉が頭の中で渦巻き、現実と虚構の境が崩れていく。
周囲の景色が変わり始め、本の中の迷いの世界に迷い込んでしまったのだ。

目が覚めた時、佐藤は見知らぬ場所に立っていた。
廃墟のような図書館。
古びた本棚が何十年も前の埃をかぶり、暗く静まり返っている。
彼は焦りを感じ、元の世界に戻りたいと願った。
しかし、どの本を開いても、彼を元の場所へ導く道は見当たらない。

彼は、選択肢のない迷宮に閉じ込められたようだった。
数か月のように感じる時間が過ぎる中、さまざまな本に触れ、少しずつ「迷いの書」の存在を意識するようになった。
うす暗い日々の中で、彼は本とともに生き、次第に本の内容と一体化していく感覚を覚えた。

「迷い続けるとは、こういうことなのか…」彼はある日、自らの姿を鏡で見つめながら思った。
かつての自分を失っていた。
封じ込められた記憶、本の中の影、そして常に自らに問いかけ続けた声。
全てが彼を取り巻く迷いとなり、彼の内側から解放されることはなかった。

数年後、書店の一角に「迷いの書」は静かに並び、新しい持ち主を待っていた。
そこには、かつての店主である佐藤の姿は無かった。
しかし、誰かがその本を開く瞬間、また新たな迷いが始まることを、誰も知る由はなかった。
人々が次々と訪れるその古書店には、持ち主を求める者たちの声がこだまするのだった。
彼の声も、今もどこかで響き続けているのかもしれない。

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