「見えざる苦しみの井戸」

名もなき小さな村の外れには、誰も近寄らない不気味な井戸があった。
村人たちはその井戸を「見井」と呼び、決して近づこうとしなかった。
その理由は、見井から見えたものが決して良いものではないからだと噂されていた。

ある夜、若い男性の名前は太郎だった。
彼は好奇心旺盛で、村の言い伝えに興味を持ち、見井に足を運ぶことにした。
薄暗い月明かりの中、太郎は井戸の前に立った。
井戸の口は深く、底が見えないほど暗かった。
太郎は息を整え、井戸の中を覗き込んだ。
すると、驚くことに井の底に何かが光っているのが見えた。

「何だろう、あれは…?」太郎は心臓が鼓動するのを感じながら、さらに覗き込む。
すると、突然、井戸から冷たい風が吹き上がり、太郎の髪の毛を揺らした。
彼は一瞬身を引いたが、やはりその光が気になって仕方がなかった。
慎重に井戸に身を寄せ、その光を掴もうと手を伸ばした。

すると、光の正体が明らかになった。
それは古い錦の布で、布の上には不気味な絵が描かれていた。
太郎は、その美しい布に魅了されてしまい、どうしても手に入れたくなった。
しかし、布を掴んだ瞬間、井戸の底から強い力が働き、彼を引き込もうとした。
その抵抗は凄まじく、太郎は必死に井戸の縁を掴んだ。

“見えてはいけないものを見てしまった”という恐怖が彼の心に広がった。
誰も近づかない理由が、ようやく理解できた。
しかし、目の前にある布を離すことができなかった。
心には恐怖があったが、同時に一種の興味が渦巻いていた。

そして、苦しみながらも太郎は布を引き上げることに成功した。
彼は井戸から体を引き揚げ、自分の周りで静寂が広がっていることに気づいた。
村の真っ暗な夜で、周囲の物音も途絶えている。
何かが彼の心に恐怖をもたらしていた。
そして、引き上げた布を広げると、その絵は次第に変わっていくことに気がついた。

布の中に見えたのは、村人たちの顔だった。
泣いている、苦しんでいる、憎しみを抱いている姿が描かれていた。
彼はそれを見ていると、心の奥深くから何かがざわめくのを感じた。
何が起きているのか分からず、恐怖が彼を包む。

その瞬間、井戸の横に立つ影が見えた。
ぼんやりとしたその影は太郎に向かってゆっくりと近づいてきた。
村の女、名前は静子だった。
彼女は小さな声で呟いた。
「見井から見えたものは、決して忘れられない。私たちの苦しみが、あなたの心にも宿るのです…。」

太郎は冷や汗をかきながら、静子の言葉を反芻した。
「苦しみが宿る?」それを理解する前に、彼の心は何かに捕らえられてしまった。
彼はもう見井の前から逃げれることはなかった。
瞬間、頭に浮かんだのは、村人たちが長きに渡り抱えた痛みや恨みだった。

その夜以来、太郎は村に戻ることができなかった。
その代わり、彼は見井の守り手となり、けれどもその苦しみを分かち合うことはできなかった。
彼は影となり、いつしか見井の魔に魅了され、再び誰かが近づくのを見守る存在となった。

村人たちは今もそれを恐れ、以前よりさらに近づかなくなった。
太郎の姿は見えないが、井戸の底からは彼の苦しみが続いているのだった。

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