町の境界がぼんやりと曖昧になる夜、田中京介は、自身の夢に悩まされていた。
最近、毎晩同じ光景を目にする。
夢の中の町は、彼が今住んでいる町に酷似しているが、どこかが違う。
いつも通りの風景に、不自然な影が絡みついているのだ。
ある晩、彼は夢の中を歩きながら、街の明かりがひときわ強く輝く場所を見つけた。
それは、町の外れにある古びた洋館だった。
彼はなぜかその場所に引き寄せられ、扉を開ける。
中は薄暗く、埃が舞い上がり、長い間誰も入っていないようだった。
その時、背後から子供の声が聞こえた。
「お兄ちゃん、こっちに来て…」振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。
彼女の目は無邪気だが、どこか寂しげに見えた。
京介は彼女に促されるまま、洋館の奥へ進んでいった。
奥の部屋には、いくつもの古い写真が壁に飾られていた。
京介はその中に、自分とよく似た少年の顔を見つけた。
その少年は、彼が子供の頃に見たことのある顔だった。
しかし、彼はこの少年が誰であるか全く思い出せなかった。
京介の心に不安が広がる。
「どうして、こんなところにいるの?」京介は少女に尋ねた。
すると彼女は答えた。
「ここは、お兄ちゃんの夢の中。私たちは、忘れられた思い出として生きているの。」彼女の言葉には、何か危険な響きがあった。
夢が進むにつれて、京介はますます不安になっていった。
彼はこの少女が本当に無邪気なのか、もしくは彼を誘う悪意があるのではないかと疑い始めた。
しかし、彼は少女の言葉に引き寄せられていた。
何か大事なことを思い出すために、彼は夢の中でこの少女と過ごさなければならない気がしていた。
ある晩、京介が洋館に向かうと、少女は彼にわらった。
「お兄ちゃん、いつまで夢の中にいるつもり?」その言葉に京介は驚いた。
現実の世界で、夢から覚められない自分に気がついたからだ。
日常生活が疎かになり、職場でも同僚たちから気を使われることが増えた。
しかし、夢の中で少女と過ごす時間は心地よく、現実から逃げる口実になっていた。
その後、京介は何度も夢の中を訪れたが、少しずつ事態は変味を帯びてきた。
少女は徐々に不安な表情を見せるようになり、いよいよ彼の心に疑念が生じた。
「君は、本当に誰なの?」京介は思わず訊ねた。
少女の目から涙がこぼれ落ち、言葉を詰まらせながら彼に告げた。
「お兄ちゃんは、私を忘れてしまった。あなたが私を忘れたから、私はここで消えてしまう…」
その瞬間、夢が崩れ落ちた。
無数の影が彼を取り囲み、何か大切なものを引き裂こうとする。
京介は、その影の中に自らの命を感じた。
彼は必死に少女の手を掴み、「忘れないよ、君のことを忘れないから!」と叫んだ。
しかし、彼の声は影にかき消され、少女の姿も徐々に薄れていく。
次の瞬間、京介は目を覚ました。
汗びっしょりで、胸の高鳴りを抑えながら彼は、その場から立ち上がった。
しかし、周囲はいつもと変わらず、すでに日が昇っていた。
京介は夢の中でのことを思い出し、現実で彼女の存在が消えてしまったことを痛感した。
彼は忘れかけていた何かを思い出し、急いで洋館の場所を探し始めた。
しかし、彼にはもう二度とその場所を見つけることができなかった。
京介が町の境界で交わした約束は、もはや彼だけのものとなり、失われた命の記憶は夢の中に閉じ込められたままだった。
彼は自らの失ったものを背負ったまま、現実の世界で生きる選択をするしかなかった。
夢の中で繰り返された思い出は、彼に重くのしかかり、彼の心の底から消えることはなかった。