長い冬の夜、原に住む佐藤健は、日々の疲れを癒しながら夢の中へと落ちていくことが常だった。
彼は30歳、平凡なサラリーマンで、平穏な生活を送っていたが、最近は夢で見知らぬ手がいつも彼を呼ぶことに気づいていた。
その手は、温かさを感じさせるもので、しかし同時に、なぜか恐ろしいほどの悲しみを秘めているように思えた。
その手は、彼が幼い頃の記憶の中に埋もれていた。
過去に大切な人を不慮の事故で失ったことが、彼の心に深い影を落としていた。
その人は、健の妹、あかりだった。
あかりは明るくて、いつも桂の夢と希望を支えてくれた存在だが、ある晩、帰宅途中に起きた惨事故によって一瞬にして彼の生活は暗転した。
以来、彼は妹の死を受け入れることができず、心の奥に罪悪感を抱き続けていた。
夢の中でのその手は、まるで彼に何かを訴えかけているようだった。
健は、夢の中でその手を握ろうと手を伸ばす。
しかし、その瞬間、目が覚めると、いつも薄暗い部屋の中にいる自分に戻っていた。
彼はその夢に意味があるのかと少し思い悩むようになった。
ある夜、健は再び夢を見た。
その前には、あかりの笑顔とともに、彼女の腕が差し伸べられている。
彼女はかわいらしい目で、「お兄ちゃん、早く来て」と言った。
あかりが呼んでいると感じた瞬間、彼は強い動機に駆られた。
その夢の世界に入っていくことで、彼は妹と再会できるのではないかと考えた。
目を閉じると、今度はまるで別の世界に居るように感じた。
そこは、懐かしい原風景が広がっていた。
緑の中で笑っているあかりの姿は、まるで数年前のままで、手を差し伸べて待っていた。
健はその手を取ると、何かが満ちてくる感覚を覚えた。
彼は思わず涙が溢れ出てきた。
「ごめんね、ずっと気にかけてた」
しかし、夢の世界に浸る彼の心の中に、何か微妙な変化が起きていた。
それは、快感から次第に切なさへと変わっていく感覚だった。
そして突然、夢の美しい景色が不気味に変わり始めた。
あかりの手は、徐々に冷たく、無機質なものに変わっていった。
彼がその手を握っていたことを忘れることで、彼は現実に戻れないのではと不安に駆られる。
「お兄ちゃん、私を忘れないで。」あかりの声は次第に悩ましいものに変わり、彼の心に重くのしかかった。
彼は、妹に忘れられた責任感と今までの償いを強く求められているのを感じた。
しかし、その声の奥には、助けを求めるような悲しみが滲んでいた。
目を覚ますと、健は心臓がバクバクしているのを感じていた。
彼はそんな夢が再び訪れることを恐れ、現実逃避に走り続けた。
しかし、彼に強く訴えかける「手」は、いつも彼を夢の中から追いかけてきた。
健は次第にその手が現実にまで影響を与えるようになっていくことを感じ始めた。
夢から覚めた後の自分の手も、あかりの記憶と交錯しているような感覚が彼を襲った。
ある晩、健は再び夢の中であかりの手を取ることを決意した。
彼は、「自分の過去を受け入れることで、彼女を解放できるのかもしれない」と思った。
夢の中で彼は、彼女が微笑む姿を見つめ、もう一度その手を握るのだった。
「ごめんね、あかり」と言いながら、彼は彼女を解放しようとする。
すると、身体が震え、空気が変わる。
あかりの表情は苦痛に染まり、彼の心には償いの思いが宿る。
どこかで聞こえる夢の声は、彼を周囲から隔てるかのように変わってしまった。
最期の瞬間、彼は消えゆく夢の中で一つの手を後に引き剥がすように感じた。
現実に戻ると、今度こそ彼の心は軽くなっていた。
あかりの思い出は、彼を苦しめなくなった。
健は前に進む決意をし、手を振りほどくことができたのだ。
ただ、時折手を振り返り、彼女が見えないところで彼を支えてくれている気がする。
それでも、彼はもう彼女の手を必要とはしない。
彼は独り立ちできた、そのことに安堵していた。