彼女の名前は美咲。
美咲は都会でのストレスから逃れるため、北海道の静かな村へと一週間の休暇を取ることにした。
彼女は、村の小さな宿に宿泊し、自然の中でリフレッシュするつもりだった。
清々しい朝の光の中、美咲は村の周囲を散策しながら、忘れていた故郷の景色を懐かしんでいた。
その晩、宿の主人に勧められた話が美咲の耳に入った。
「ここには、昔から語り継がれる伝説がある。月明かりの下で見知らぬ人に声をかけられたら、決してその誘いには応じてはいけない」というものであった。
その伝説を聞いて、美咲は久しぶりに感じるゾクゾクとした気持ちに驚いた。
その晩、美咲は宿の外に出て、鮮やかな満月を見上げた。
辺りは静まり返り、心地よい風が彼女の髪を揺らした。
そんな時、薄暗い道の向こうから、一人の男性が彼女に向かって歩いてくるのを見つけた。
彼は黒いコートを着ていて、その顔は月明かりにもかかわらず、ぼんやりとして見えた。
「こんばんは、綺麗な月ですね」と彼は美咲に声をかけた。
美咲は一瞬、その声に魅了され、話に応じようとしたが、宿の主人の警告が頭をよぎった。
彼女は軽く首を振り、立ち去ろうとした。
「お待ちください、もう少しお話しませんか？」男性の声が再び響いた。
彼女は不安を覚え、立ち去る決心を強めた。
しかし、次の瞬間、彼は目の前に立ちふさがり、美咲を見つめていた。
「私を置いていくのですか？ 私はずっと、あなたに会いたかった。」その言葉に美咲の心は恐怖に包まれた。
彼女はその場から逃げ出し、宿へと急いだ。
夜が深まるにつれ、美咲は疲れて眠りに落ちた。
だが、夢の中で再びその男性が現れた。
「覚えていてください。私はあなたのことを忘れたことはありません。あなたが私を拒む理由を教えてください。」美咲は恐怖で身動きが取れず、ただその言葉に耳を傾けるしかなかった。
目が覚めると、美咲は不安で胸がいっぱいになっていた。
宿の主人に伝説のことを話すと、主人は険しい表情を浮かべた。
「彼の名は明らかにはされていないが、彼はこの村に縛られている存在です。もし彼に心を奪われれば、あなたは彼の世界へと取り込まれてしまう。決して再び彼の声には応じないでください。」
次の晩も、月明かりの下で彼女はその男性と再会した。
彼は微笑みながら近づいてくる。
美咲は心の中で、宿の主人の言葉を反復し、もう一度立ち去ろうと決意した。
「ごめんなさい、私はあなたに興味はありません。」
彼は無表情に変わった。
静かに唇を動かして何かを呟いた。
そして、美咲の身体が凍りついてしまった。
彼の声が頭の中に響き、「覚えていて、私はすぐに戻ってくる」と告げた。
美咲は抗えず、心の奥底に冷たい恐怖を感じた。
その晩、彼女は再び夢の中で彼に会った。
彼は彼女の腕を掴み、引き寄せる。
「私と共に来てください。あなたは私のものです。」美咲は自分の意志と闘い続けたが、その声から逃れることができなかった。
次の日、美咲は村を去ることに決めた。
しかし、彼女が宿を後にすると、妙な感覚が胸を締め付ける。
自分の周りに影が忍び寄り、どこか視線を感じた。
彼が言った通り、彼女の心には高まる恐れが芽生えていった。
結局、美咲はあの日の体験を忘れることはできず、この村に二度と足を運ぶことはなかった。
しかし、何年が経っても、その夜の出来事の記憶は鮮明に彼女の脳裏に残っていた。
彼の声はいつも彼女の耳元に響き続けていた。
「私を忘れないで、忘れないで。私はあなたのことを覚えている。」
