遥か彼方にある小さな島、名も無きこの地には、古くから語り継がれる伝説が存在した。
島には一つの神社があり、その裏手には不気味な黒い森が広がっていた。
地元の人々は、森に近寄ることで何か不幸が訪れると怯えていたが、その恐れを感じながらも、島の人々は日々の生活を送っていた。
ある日、若い漁師の健二は、知人から神社へ供え物を持って行くよう頼まれた。
彼は、腕に覚えのある漁師だったので、自分の不幸を全く信じていなかった。
しかし、道すがら、健二は不意に立ち止まり、森の奥から聞こえるような囁きに魅了されてしまった。
彼の心の中に、かつて彼が無視してきた罪悪感が湧き上がってきたのだ。
数年前、健二は島の仲間の信頼を失うような行動をしてしまった。
彼は自分の利益のみを考え、仲間の漁を邪魔し、その結果、彼らは大きな損失を被った。
以降、彼の心には贖いの念が常に付きまとっていたが、忙しさにかまけてそれを忘れようとしていた。
しかし、その日の囁きは彼を引き戻した。
「お前は、逃げるつもりか?」
彼は耳を澄ませてみたが、周囲には誰もいなかった。
手に持っていた供え物を無意識に放り投げ、彼は森へと足を向けた。
なぜか、その声に導かれるように深く進んでいくと、次第に空気が重くなり、周囲の木々が彼を取り囲むようになっていた。
健二の頭に浮かぶのは、仲間の顔だった。
彼の姿を見てうつ向いていた友人たち、忍び寄る視線、彼らの言葉に耳を傾けることなく、自分の利益を優先した結末が脳裏に焼き付いていた。
森の奥に進むほどに、その思い出が鮮明になり、心を締め付けていく。
その時、彼の目の前に黒い影が現れた。
柔らかい髪を持つ女の姿だった。
彼女はいつも夢に出てくる姿と似ていたが、深い悲しみがその瞳に宿っていた。
健二の心は一瞬にして凍りついた。
「あなたが私を忘れたのですね?私たちの約束を破って、孤独な道を選んだのですね?」
その声は、彼の心に直接響いた。
彼女は、かつての仲間、なつみだった。
彼女は彼が無視した仲間の一人であり、あの日の事故で己の命を奪われた、失われた存在だった。
彼女の目からは涙が流れ、健二はその涙を見た瞬間、胸が締め付けられる思いに襲われた。
「あなたも、私も、共に生きていたはずなのに…」
健二は言葉が出なかった。
それどころか、彼女の存在が彼の心の奥に住んでいた醜い罪を剥き出しにしたのだ。
彼はゆっくりと足を後退させたが、彼女はすぐに彼の前に立ち塞がった。
「贖う気持ちはあるのですか?この場所で私を思い出してくれれば、あるいはあなたも救われるかもしれません。」
その言葉に彼は震えた。
彼は気づいた。
彼女の仇を討つためには、自らの心と向き合い、彼女の犠牲を受け入れなければならないことを。
自分の無関心が引き起こした結果に、面と向かって対峙しなければいけないのだ。
「私は、あなたを忘れたのではない。贖うために生きたい。」
そう告げるや否や、森の雲が晴れ、周囲の光が戻ってきた。
なつみは健二の言葉を聞くと、ほろりと涙を流した。
この瞬間、彼女の姿が徐々に薄れていき、彼の目の前から消えてしまった。
健二は自分がどれだけ人とのつながりを疎んじていたのかを実感し、その後の彼の行動には変化が生まれた。
島での生活は相変わらず続いていたが、彼は仲間との絆を大切にするようになった。
そして、自らが背負うべき責任を果たしながら、代わりに仲間のために力を尽くす決意を固めたのだった。