空気がひんやりと冷たくなり、夕暮れ時の光が薄暗くなる中、勇気を振り絞って庫の扉を開けると、古びた木の棚が並び、更にその奥には無造作に置かれた物が散乱している。
名は佐藤明、36歳の独身男性。
彼はつい数日前、亡き祖父の遺品を整理するために実家に帰ってきた。
久しぶりの実家だが、特に懐かしさを感じることもなく、ただ淡々と作業を続けていた。
しかし、その日は何かが違った。
庫の奥には、普段は見かけないような、薄暗い隙間が存在していた。
まるでこの世のものではないような不気味さを纏ったその場所に、心が強く引かれる。
明はその隙間にそっと近づき、息を飲んだ。
すると、ひんやりとした空気が彼の肌を撫で、その瞬間、過去の記憶が一気に呼び起こされた。
「おじいちゃん、私のこと覚えてる?」と、幼い頃の自分が言った。
その声は、まるで今も耳元でささやいてくるかのようだった。
彼は思わず空を見上げた。
昔、祖父と一緒に過ごした温かな日々が頭に浮かぶ。
だが、すぐに心にわだかまりが生じた。
祖父が亡くなってからの数年間、彼はその記憶を封じ込め、心の奥底に隠していたのだ。
まるで縁を切るかのように、忘れてしまいたかった。
なのに、今、亡き祖父の影がこの不気味な庫の中で、彼を呼んでいるかのように感じる。
思わずその隙間に手を伸ばすと、冷たい感触が指先に触れた。
何かが引き寄せられる感覚に彼は抵抗できなかった。
明はそのまま前へ進み、隙間の先にある暗闇へと足を踏み入れた。
その瞬間、目の前がパッと明るくなり、彼は不思議な空間に立っていた。
周囲には自分の知っている風景が広がっていた。
そこには幼い日の自分と、祖父が優しく微笑む姿が映し出されている。
二人は一緒に庭で遊んでいた。
明は思わず涙を流した。
会いたかった。
あの頃に戻りたかった。
そんな切ない思いが心をいっぱいに満たしていく。
だが、その幸せな瞬間は次第に色あせていく。
彼はふと気付く。
どうして自分がこんな幻影に浸っているのか?この場所は自分の心の中の幻想だ。
祖父を思い出すことができるのは嬉しいが、その始まりは、自分が勇気を持てず、過去から逃げ続けていたからだ。
「私を忘れないで、明」と小さな声が耳元で囁く。
明はその言葉が何を意味するのか、理解し始めた。
自分自身が、祖父との縁を断ち切ろうとしていたのだ。
今まで逃げていた心の奥底から、彼は逃げ続けることをやめなければならない。
明は強くうなずいた。
「忘れない、忘れないよ、おじいちゃん」と、彼は心の中で祈るようにつぶやくと、その瞬間、周囲の景色が急速に暗くなっていった。
前に進むべき道が見えなくなり、彼は再びその隙間に戻らざるを得なかった。
ですが、今度は心の中で何かが変わっていた。
自身の心の不安と向き合い、祖父との思い出を大切にすることを選択したのだ。
恐ろしいこの庫も、もはや自分にとって逃げ出したり隠したりする場所ではなく、優しい思い出との縁を再確認するための場所になった。
意を決して明は隙間から抜け出し、庫の中を見回した。
そして心の中で「ありがとう、おじいちゃん」とつぶやいた。
このごく短い時間の中で、彼は運命の糸を少しだけ結びなおすことができたのだ。
彼は今、少しだけ前に進む勇気を持っていた。