「忘れられた宿の影」

ある夜、佐藤悠太は友人たちと共に、人気のない洋館に宿泊することに決めた。
この洋館は、かつて大富豪の家族が住んでいた場所で、数十年前に不幸な事件が起きたという噂があった。
その事件とは、家族全員が何者かに襲われ、血の海に沈んだというものだ。
その後、洋館は廃墟となり、何人もの心霊マニアが訪れたが、恐ろしい体験をして帰る者が続出したため、誰も近づかなくなっていた。

悠太と友人たちは、その噂を楽しむために、スリルを求めて洋館にやって来た。
洋館は薄暗く、外から見るとその存在感は威圧的だった。
しかし、興味に勝る恐怖心に後押しされながら、彼らは洋館の中に足を踏み入れた。
中に入ると、冷たい空気が彼らを包み込む。
壁には大きな絵画が掛かっており、どれも生前の家族を描いたものだった。
悠太はそれらの絵画に目を奪われながらも、背後から感じる不気味な視線に気づいていた。

仲間たちと一緒に部屋を探索していると、突如として部屋の扉が激しく閉まり、響く音が広がった。
ドアを押さえている仲間は驚き、何が起こったのかを理解できなかった。
悠太は、一瞬の静寂の後に、薄暗い廊下から血のようなものがしたたる音を聞いた。
それは、小さな流れが不規則に滴り落ちる音だ。
不安が全員を包み込む。
「もう帰ろう」と、仲間の一人が言ったが、悠太は内心の恐怖を見せまいとした。

しかし、何かが彼らの背後から襲い掛かってくる感覚があった。
悠太たちは不安を抱えながら、他の部屋へと向かう。
進むにつれて、洋館の内装はますます劣化し、感覚が異次元に引き込まれるような錯覚を覚えた。
声も音も消え、ただ足音だけが響いている。
急に、悠太が見たこともないような、血まみれの幼い子どもが目の前に現れた。
無邪気さの裏に潜む恐ろしさが彼には感じられ、その目は彼をまっすぐに見つめている。

悠太は恐れにかられ、振り返ろうとしたその瞬間、深い声が響いた。
「私たちを忘れないで…」悠太は息を呑んだ。
その言葉は、耳元でささやかれたようだった。
永遠に消えない影に追われているような感覚に襲われ、彼の心は恐怖で満ちた。
周囲を見回すと、友人たちも怯えながらその場に立ち尽くしていた。

次の瞬間、背景が崩れ始め、廊下が闇に飲まれていく。
悠太は、彼の前に現れた人影が再び子どもだと気づいた。
ようやく無言の恐怖から目が覚めた悠太が、何とか振り返ると、背後に大人の姿が映った。
それは、美しくもどこか張り詰めた表情の女性だった。
彼女は悠太を見つめ、その手には血の滴るナイフを握っていた。

「なぜ、私たちをこの宿に閉じ込めるの?」悠太は問うたが、彼女は答えることなくただ微笑むだけだった。
その微笑みは、彼に向けての血の呪縛の深さを物語っていた。
薄暗い中、彼の心はゆっくりと狂気に侵されていく。
悠太は見覚えのない手によって引っ張られ、暗闇の中へと飲みこまれていった。
所有していた恐怖が、独自の感情へと変わっていく。
「ここで、私たちを忘れないで…」その言葉が彼の耳に残った。

朝が来たとき、悠太の姿はどこにもなかった。
洋館内には、無残に散らばった仲間たちの影だけがあった。
それ以来、この洋館には新たな宿泊客は二度と訪れなかった。

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