彼女は、幼い頃から何度も訪れた小さな島に帰ってきた。
島には、自分たちの家族が住んでいたころから続く、不思議な言い伝えがあった。
かつて、その島に住む人々が不幸な目に遭うことが多く、誰もがその原因を「声」と呼んで恐れていた。
声は静かな海の向こうから、もしくは森の奥から、時には自分自身の内に潜んでいると言われていた。
彼女はその言い伝えに興味を持ち、一人島を探索することにした。
島に着いた彼女は、まずは浜辺に立ち、波の音を聞きながら深呼吸をした。
日差しは柔らかく心地よかったが、どこか冷たい風が彼女の背筋をすっと通り抜けていく。
何かが彼女の心に影を落としていた。
彼女はそれを無視することにした。
島の奥へ進むと、森が広がり、木々の間に道なき道があった。
彼女は、その道に足を踏み入れ、心の奥にある声を聞こうとした。
しばらく進むと、薄暗い場所に辿り着いた。
木々が生い茂り、太陽の光がほとんど届かない場所だった。
彼女の心臓が鼓動を強めた。
突然、耳元で囁くような声が聞こえた。
「ここに来てはならない。」驚いた彼女は思わず後退り、その場から逃げるように走り出した。
しかし、足音が響くと同時に、その声は再び耳に迫ってきた。
「私を決して忘れないで…」今度は心の底からの切実な叫びのように感じられた。
家族から聞いた奇妙な伝説が頭をよぎる。
声はかつてこの場所で悲劇に遭った人の名だと。
そして、その人は未練を抱いたまま、この島を彷徨っている。
彼女の内部の感情がざわつく。
確かに彼女は、この島から去った家族のことを忘れかけていた。
声が気にかかるあまり、彼女は再びその場所に戻ることに決めた。
「忘れないで」と言われたその言葉が、どこか自分を引き寄せるかのように思えた。
再び薄暗い森へ進むと、心の中で焦燥感が募っていく。
声の正体に近づくための決意が彼女を突き動かしていた。
周囲の空気が重く、さらに一歩を踏み出すと、目の前に小さな祠が現れた。
そこには苔むした石が並び、真ん中には見知らぬ人の写真が飾られていた。
不意に彼女は、顔が知らないはずの人だと感じた。
若い女性の笑顔が、不気味に彼女の視線を捉える。
その瞬間、耳元で再び声が響いた。
「私の名前を呼んで…」その言葉が、まるで自分の中にある記憶を掘り起こすかのように思えた。
彼女は思わず、その名を口にした。
「あなたの名前は…誰?」
悔い深き声が響き渡る。
「私を忘れたの?」たちまち、彼女は言葉ではなく、その声が自分の心の奥でどれほど響いていたのかを理解した。
忘れた訳ではない。
ただ、恐れや無関心から目を背けていたのだ。
「ごめんなさい、あなたを忘れたわけじゃないの。」彼女は必死に声を返した。
その声は、自分の心の奥から弾けるように響いていた。
すると、森の周りの空気が和らぎ、声が温かくなった。
「だから、私を忘れないで…」
その瞬間、薄暗い森の中が少しだけ明るくなり、彼女は心の中の不安が静まるのを感じた。
それは決して恐れを感じるものではなく、新たな強さを得たような安堵感だった。
彼女はしたいこと、守りたいことを再確認し、島を後にする時には、声に導かれた新しい道が広がっていることに気付いた。
声はもう、彼女の内なる悲しみではなくなったのだ。