その村には、古くから語り継がれる言い伝えがあった。
「い」の現象、すなわち、行方を失う者が現れるというもので、村の人々はそれを恐れていた。
誰もがその現象に巻き込まれることを避け、村の境界を越えることはなかった。
主人公の健二は、そんな村で育った若者だったが、好奇心が旺盛な性格が災いし、心のどこかでその言い伝えを信じていなかった。
ある晩、友人たちと酒を飲み交わしていると、話題は自然と「い」の現象に移った。
すると、一人の友人、直樹が言った。
「最近、あの古い神社の近くで、村の人がいなくなったらしい。お前、行ってみれば？」
その言葉に刺激を受けた健二は、興奮しながら夜中に神社へ向かうことを決意した。
周囲が静まり返る中、彼は村の境界を越え、霧に包まれた道を進んだ。
月明かりの下、木々がざわめく音だけが耳に入る。
古びた神社にたどり着くと、空気が一変した。
異様な静けさが支配しており、まるで周囲の時間が止まったかのようだった。
ふと、目の前に立っている鳥居の荘厳さに心を奪われていると、彼の背後から不意に声が聞こえた。
「もう戻れないよ。」
振り返ると、そこには女性の霊が立っていた。
鮮やかな白い着物を身にまとい、顔はぼやけていて、はっきりとは見えなかったが、その言葉にはどこか懐かしさを感じた。
彼女の目は悲しみに満ちており、健二は何か行き違いがあるのではないかと感じた。
「あなたは誰ですか？」健二は勇気を振り絞って尋ねた。
「私はこの村の者。何も知らないでここに来た者に警告するために現れた。」彼女は冷静に言った。
「行くのなら、覚悟をして行け。」
その言葉が復讐のように心に響いた。
健二はその言葉を無視して神社の境内へと歩みを進めた。
その瞬間、視界が歪み、周囲の景色が揺れ始めた。
木々の形がねじれていく中、彼の先にある道も不定形に変わり、彼は何かが間違っていると感じ取った。
「戻れ！」再び彼女の声が響いた。
健二はその声に従うように後ずさりし、逃げようとしたが、空気が重く、動くことができなかった。
周囲の霊たちが彼を囲むように現れ、皆が同じ悲しみを抱えていることを感じ取った。
「ここは行く者を受け入れない。過去の因縁に縛られている者たちだから。」女性は、彼にその場所の実情を明かした。
村の人々は一度この神社に足を踏み入れることで、無邪気に日常を戻れなくなる運命を背負ってしまうことを。
恐怖と悟りによって、健二は自らの過ちに気づき始めた。
彼が求めたのは、ただの好奇心であり、恐ろしい現実とは無縁のことだと思っていたが、それが彼をこの場に導いたのだ。
「私もあなたのように、行く者だった。あなたには行くことは許されていない。」女性の声が響く。
彼は思わず心の中で自らの選択を反省し、冷静にその場の真実を受け入れた。
恐れが消え、代わりに強い決意が芽生えた。
健二はその場を離れ、戻るべき道を見つけ出した。
振り返ると、霊たちが手を伸ばして彼を呼んでいたが、今は動じることなく、彼は神社を後にした。
その道を歩くと、次第に明るい光が見えてくる。
密かに誓った。
「もう二度と、好奇心で見えないものに手を出すようなことはしない。」
無事に村に戻った健二は、村人たちにこの言い伝えの真実を語り始め、自らが経験したことを伝えた。
そして彼は、いつかその霊たちが解放されることを願い、静かに生きていくことを決意した。
