ある日の午後、商店街の片隅にひっそりと佇む古びた商店に、若い女性の佐藤あかりが足を運んだ。
あかりは、この町に引っ越してきたばかりで、仕事を終えてから帰宅する途中にその店を見つけたのだ。
店の外観は朽ちかけており、あまり人が訪れる様子はなかったが、何か惹かれるものがあった。
店の中に入ると、薄暗い照明の下に並ぶ商品たちが目に入ってくる。
古い雑貨や食器、木製の玩具など、どれも懐かしさと哀愁を帯びていた。
あかりは、思わず手に取った美しい陶器の皿に見入った。
その瞬間、背後で不意に「カタカタ」という音が聞こえた。
振り返ると、店の奥で誰かがいる気配があった。
ほこりの積もった棚の影から、年配の男性が姿を現す。
彼は無口で、まるで自分の世界に浸っているようだったが、その視線はまっすぐあかりに向けられていた。
あかりは少し動揺しながらも、彼に声をかけた。
「この皿、素敵ですね。」
男性は無言で頷き、再び棚の奥へと戻った。
あかりはその後もいくつかの商品を見ながら、時折「カタカタ」という音がすることに気づいた。
不思議に思いながらも、彼女はその音の正体を確かめようとはしなかった。
しばらくの間、あかりは店内をうろうろした後、購入した皿を手に店を後にした。
しかし、その日以来、彼女の耳には「カタカタ」という音がいつも響いていた。
特に夜中、暗闇の中でその音が目立つようになり、効果音のように身震いさせられた。
それはまるで彼女の思考を封じ込めるかのように、何度も何度も繰り返された。
あかりは耳栓をしてみたり、音楽をかけたりしたが、音は消えなかった。
ある晩、あまりの不安に耐えられず、彼女は再びあの商店を訪れる決心をした。
店のドアを押し開けると、夜の静けさの中で「カタカタ」という音が一層大きくなる。
あかりは心臓がバクバクし、恐る恐る店の奥へと進んだ。
すると、再びあの老紳士が姿を現した。
彼の顔は年齢とは裏腹に険しい表情をしていた。
「その皿を買ったか?」彼が低い声で尋ねる。
あかりは頷きながら恐る恐る「どうして、音が…」と口を開くと、「それは、断の音だ」と返される。
「断?」あかりはその言葉の意味が思いつかなかった。
「この音を聞いている限り、あなたは選択を迫られる。何か大切なものと別れなければならないのだ」と老人は続けた。
あかりの心の中に恐怖が広がる。
一体、何を断たなければならないのだろう。
あかりの脳裏には、日常生活や大切な人たちの顔が浮かぶ。
そして、見えてきたのは、不安定で壊れやすい自分の心だった。
あかりは今まで抑えていた感情が次第に溢れ出すのを感じた。
「私はこの音をどうにかできるの?このままじゃ、何かを失ってしまう。」
老人は彼女の言葉を聞き、「選択は自分でしなければならぬ。焦ることはない」と優しく言った。
あかりは迷ったが、その声に少し安心を見出した。
「では、私は、どうすればいいの?」
その瞬間、またしても「カタカタ」という音が強く響いた。
あかりの心臓が止まりそうになり、その音がもたらす不安が圧し掛かる。
「大切な何かを手放すことで、新たな道が拓けるかもしれない。楽になることもある。」老人の言葉は重く彼女に響いた。
あかりは少しの間、静寂の中で深く呼吸した。
彼女は自分の心の中の声と向き合わなければならないことを悟り、誰かを傷つけない選択をすべく、それを受け入れる覚悟を決めた。
数日後、あかりの耳に響く「カタカタ」という音は次第に小さくなり、消えていった。
そして彼女は、それに続く温かい光の中で、心の中の選択の断絶を果たしたことで、静けさの中に新たな明日を見つけることができた。