「霧の館の宿命」

静かな山深い場所にある宿、そこは一見、穏やかな時が流れているように見えた。
宿の名は「霧の館」。
だが、この宿にはある秘密が隠されていた。
宿の経営者である佐々木は、この土地に伝わる古い言い伝えを知っていた。
それは、「霧の館に泊まった者は、必ず何かを失う」というものだった。

ある日のこと、若いカップルの健太と美咲が宿を訪れた。
都会の喧騒から離れ、静けさを求めての旅行だった。
宿に着くと、霧が立ち込め、幻想的な雰囲気が広がっていた。
スタッフは親切で、二人を客室へと案内してくれた。
室内はシンプルで、落ち着いた雰囲気に包まれていた。

健太は美咲と共に宿の周りを散策することにした。
古い庭や小道、そして不思議な形の木々の中を歩く。
しかし、健太は何か不安な気配を感じ始めた。
美咲は楽しげに笑いながら歩くが、健太の心には妙な緊張感が残っていた。

夜が深まり、二人は再び宿に戻った。
外は霧が一層濃くなり、視界がほとんどゼロになっていた。
夕食を終え、部屋でくつろいでいると、ふと健太のスマートフォンが鳴った。
画面には見知らぬ番号が表示されていた。
出ると、相手は近所に住む友人だった。
しかし、友人の声はどこか不安そうで、健太はその様子に戸惑った。
電話を切ると、何かが彼の心に引っかかり続けた。

その晩、健太は夢を見た。
夢の中で、彼は宿の廊下を歩いていた。
どこからともなく、不気味な声が彼に呼びかけてきた。
「戻ってきて……」その声に魅かれ、健太はさらに廊下を進んだ。
声は次第に大きくなり、彼の足を引き戻そうとする。
しかし、彼は恐怖心を抱きつつも、声の主を探し続けた。

朝が来て、健太は不安な気持ちを抱えながら美咲にその夢のことを話した。
しかし美咲は、「ただの夢よ」と笑って、気に留めることはなかった。
だが、次第に宿の中で妙な動きが目立つようになっていた。
物が勝手に動いたり、何もない空間で冷たい風が吹いたり。
その変化に気づいた健太は、一層不安が募っていく。

数日後、宿を後にすることに決めた二人。
しかし、その時になって突然、美咲が行方不明になってしまった。
健太は驚き、宿の中を探し回る。
その時、ふと廊下の奥に佇む人影が目に留まった。
声をかけると、それはまさに美咲だった。
彼女は冷たい表情を浮かべてほんのりと微笑んでいたが、その目はどこか遠くを見つめているようだった。

「どうしたの、急に?」健太が尋ねると、美咲の口が開いた。
「戻ってきて……」彼女の言葉は、まるで宿の声を真似るかのように響いた。
驚きと恐怖が交錯し、健太は慌てて彼女を引き寄せた。
しかし、美咲の手は彼の手をすり抜け、気づくと姿が消えてしまった。

何度も探し回ったが、美咲の姿は見つからなかった。
彼はただ宿を出ようと必死に扉を押した。
しかし、扉は開かない。
宿の中には、一瞬の静寂が広がり、彼の心臓の鼓動だけが響いている。

やがて宿のスタッフがやって来た。
「どうしましたか?」と尋ねられるが、健太は言葉が出なかった。
美咲のことを話すと、彼らは苦笑いし、暗い目をこちらに向けた。
「彼女はもう戻れません。この宿には、霧の宿命があるのです。」

健太は呆然とした。
結局、何かを失うことになる運命から逃れることができなかった。
彼は泣き崩れ、宿の恐怖に取り込まれていくのであった。
宿の静けさの中、霧は果てしなく立ち込めていく。

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