「棄てられた形見の祠」

静かな山間の村には、小さな祠があり、村人たちはその存在を深く知っていた。
祠には、失われたものを取り戻す力があると信じられていたが、同時に「棄てられた者の現れ」という恐ろしい噂も付きまとっていた。

ある秋の夜、村に住む佐藤健一は、最近失くした祖母の形見の懐中時計を思い出し、祠に向かうことを決意した。
月明かりが道を照らす中、健一の心には期待と不安が交錯していた。
懐中時計は彼にとって大切なものであり、祖母が彼に託した温かい思い出が詰まっていた。

祠に到着すると、周囲は不気味な静寂に包まれていた。
健一は祠の中に入り、心の中で祖母のことを思い浮かべながら、懐中時計を取り戻したいという願いを強く込めた。
そして、その瞬間、幼い頃の記憶がふと蘇り、笑い声や温もりに包まれた。

だが、しばらく待っても何も起こらなかった。
健一は少しずつ不安に駆られた。
すると、突然、祠の内部が冷たくなり、まるで誰かがいるかのような気配を感じた。
振り返ると、どこからともなく現れた霊的な存在が彼を見つめていた。
彼女は彼の祖母であることを一瞬で理解した。

「健一、私はここにいるよ」と彼女は優しく語りかけた。
しかし、その言葉にはどこか淀んだ響きがあり、彼の心に嫌な予感を呼び起こした。
彼の目の前に立つ祖母は、かつての愛らしい姿とは異なり、どこか霊的な存在として彼に迫ってきた。

「私の形見を、なぜ失くしてしまったの?」 祖母の声が低く響く。
健一は、懐中時計を探し求めたのに、失くしてしまったことを悔い、涙が溢れてくる。
「ごめんなさい、おばあちゃん」と叫びたい気持ちを押し殺しながら、彼はただ立ち尽くしていた。

その瞬間、祖母の表情が一変した。
「あなたは私を忘れようとしている。それだから、棄てられたものとして私が現れたの」と言われ、健一は背筋を凍らせた。
この言葉はまるで、彼自身が祖母を忘れかけ、形見を軽視していたことを指摘されているようだった。

祠の中の空気が一層重くなり、彼は立ち尽くすことができなかった。
健一は、自分の心の奥にしまい込んでいた後悔や罪悪感に直面せざるを得なかった。
「私を思い出して、そして、忘れないでいてほしい」と祖母は語りかけるが、彼の心には恐れが渦巻いていた。

「失ったものを取り戻すためには、私と一緒にいることが必要だ」と祖母は続けた。
健一はその言葉にしがみつくが、次第に「現」と「失」の狭間で迷い、どちらに進むべきか決められずにいた。
祖母の存在は彼に安らぎをもたらす一方で、自身を縛る恐怖の象徴と化していた。

かつての健一の心には、祖母との思い出が深く根付いていた。
しかし、日々の喧騒や忙しさに飲まれ、祖母のことを忘れかけていた自分を思い知る。
「おばあちゃん、お願いだから私を許して」と悔いる気持ちが渦巻いた瞬間、祠がまるで彼の内面を反映するかのように揺れ動き、祖母の姿がゆっくりと消えつつあった。

「忘れないで…」と祖母の声が遠く響き渡る中、健一の心には新たな決意が芽生えた。
彼は失ったものを再び思い出し、心に刻むことを誓った。
祠を後にする際、彼はその存在がどれほど大切であるのかを、深く感じたのだった。
そして、もう二度と失うことのないように、懐中時計を探し続けることを心に誓った。

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