下水道は人々にとって忘れ去られた空間であり、普段は通行人には目に触れない。
そんな地下に、ある噂があった。
下水道には、「音の亡霊」と呼ばれる存在が潜んでいるというのだ。
音を聞くことで、その声に引き込まれ、決して戻れなくなるという恐ろしい現象だ。
ある晩、大学生の佐藤健太は友人たちと肝試しをすることになった。
彼らは都市伝説を探ることが目的で、下水道に入ることにした。
仲間の中には、好奇心旺盛な田中と、少し臆病な山田がいた。
彼らは懐中電灯を手に、地下への一歩を踏み出す。
中に入ると、ひんやりとした冷たい空気が肌に触れる。
足元には水たまりが広がり、不気味な音が響き渡った。
手探りで進むうちに、突然、田中が何かを見つけた。
汚れたコンクリートの壁に、古びたラジオがひっそりと置かれていた。
みんなは興味深げにそのラジオを眺めたが、田中は急にそれを持ち上げ、「これ、動くか試そう」と言った。
その瞬間、ラジオがかすかに鳴り始めた。
かすかなノイズが徐々にクリアな声に変わり、耳元に響き渡る。
彼らは驚愕し、慌ててラジオを離そうとしたが、田中の手はそのまま離れない。
声は次第に大きくなり、「助けて…私を助けて…」と呼びかける。
その声は、どこか懐かしい音色だった。
健太の心の奥底に触れるような声だった。
しかし、田中の表情は徐々に変わり、恐怖で歪んでいく。
「やめてくれ、もうやめてくれ!」と叫ぶ彼。
しかし、その声はどこまでも続く。
不安に駆られた健太と山田は、田中を引っ張ろうとしたが、彼はまるで石のように動かない。
その時、下水道の壁を叩くような音が響いた。
振り返ると、黒い影が壁の向こうに見えた。
徐々に影が形を整えていき、無表情な顔をした女性の姿が現れる。
その女性は、まるで透明で、空気のように消え入りそうな形をしていた。
「私の声を聞いて。助けてほしい…」その声は再び響く。
山田は思わず後退り、恐怖で身体が硬くなった。
健太は田中を助けようと必死になり、彼の肩を掴んで振り返らせようとしたが、田中は目を閉じたまま、ラジオの声に引き寄せられている。
女性の影はさらに近づき、田中に手を伸ばす。
「お願い、助けて…あの時、私を見捨てたのはあなたでしょう?」女性は言った。
健太は急いで田中の身体を引っ張り、「田中、しっかりして!この声は怪しい、離れろ!」と叫んだ。
しかし、その声の魔力に抗えず、田中の意識は徐々に薄れていく。
彼はその呪縛から抜け出すことができないまま、ゆっくりと女性の影に吸い込まれていった。
健太は必死で田中の手を掴もうとするが、影はあっという間に彼らの目の前から姿を消してしまった。
冷たい空気が返ってきて、ラジオは静かになった。
健太と山田は下水道の入り口まで必死に逃げ帰ったが、後ろを振り返ると、田中の姿は消え、ただ静寂だけが残っていた。
数日後、健太は田中のことを思い出していた。
そして、彼のスマートフォンにメッセージが届く。
「助けて、私を…」それは田中の声だった。
健太は恐怖に震え、もう二度と下水道には近づかないと決意した。
しかし、その後も彼の耳には、囁くような声が絶え間なく響き続けていた。