「影からの囁き」

雨の降る夜、佐藤美和は古びた家に住んでいた。
彼女は親から相続したこの家が好きではなく、できるだけ出かけるようにしていたが、その日はどうしても外出する気が起きなかった。
窓の外では、雨が強く降り続いている。
静かな夜、彼女は本を手に取り、リビングのソファに腰掛けた。

本のページをめくる音が、家の中に響き渡る。
ただそれだけのはずだった。
しかし、読み進めるうちに、彼女は時折、背後から微かな音を聞くようになった。
初めは雨の音に紛れているのだろうと気にも留めなかったが、それは徐々に気味の悪い小さな音へと変わっていった。

「カタカタ…」

その音は、まるで何かが動いているかのように感じられた。
美和は本を閉じ、その音の正体を探ろうと立ち上がった。
辺りは静まり返り、雨の音さえ遠くに感じる。
心臓が鼓動を早める中、彼女はゆっくりと家の中を歩き回った。

すると、ふと影が目に入った。
それは廊下の奥、普段は使わない部屋のほうへと続いていた。
まるで何かが、そちらに向かって進んでいるかのように見えた。
美和は恐怖を感じながらも、その影を追いかけることにした。
足音は静まり、周囲には自分の心音しか聞こえない。

「音、どこから…?」

影が見えなくなると、美和はしばらくの間立ち止まり、息を潜めた。
その瞬間、後ろから「カタカタ」と音が聞こえた。
振り返ると、長い廊下の向こうにかすかな光が見えた。
美和は無意識にそこへと引き寄せられた。
しかし、近づくにつれて、その光は次第に不気味なものへと変わっていった。

部屋の扉は少しだけ開いていて、空気が重たく漂っている。
恐る恐る扉を押し開けると、目の前には古びた家具と埃にまみれた本棚があった。
そして、その隙間から微かな音が聞こえてくるのだ。
「カタカタ」「ひゅう」と不規則な音に変わり、ますます恐怖が増していく。

その音は、まるで誰かが部屋の中で動いているかのようだった。
不安に駆られた美和は、思わず部屋の中を覗いてみる。
すると、そこには何もない、ただ静まり返った空気だけが流れていた。
彼女はもう一度後ろを振り返ろうとしたが、その瞬間、何か冷たいものが彼女の背中を触った。

彼女は驚いて振り返ったが、そこには何もいない。
恐れを感じながらも、その音の出所を確認しようと踏み込んだ。
すると、足元の床が「びりびり」と震えた。
まるで、地面の下に何かが潜んでいるかのように感じられる。
美和は恐怖を押し殺し、部屋の端にある本棚の前に立った。

その瞬間、本棚から一冊の本が勝手に落ちてきた。
美和はすぐさまそれを拾おうとしたが、手を伸ばす直前、耳元で流れるような囁きが聞こえた。

「戻れ…」

その言葉は、彼女の心に恐怖を刻み込んだ。
今にも逃げ出したい衝動が押し寄せるが、彼女は何かに取り憑かれたように、恐る恐るその本を手に取りあげた。
すると、その本の表紙には不気味な絵が描かれていた。
そして、ページを捲ると、そこには誰かの名前が記されていた。
それは美和の親しい友人の名前だった。

彼女は愕然とし、恐ろしさのあまり本を投げ出した。
その瞬間、再び背後から「カタカタ」という音が響き、目の前の影が動いた。
それはまさに、彼女の友人の姿だった。

「美和、助けて…」

その声は、彼女の耳を離れない。
影の姿は徐々に近づき、何かを求めるように彼女を見つめている。
美和は心の底から恐怖を感じ、後ずさりながらも逃げることができなかった。
その影が広がると、部屋全体が暗くなり、彼女を包み込むように迫ってきた。

「戻れ…」という囁きが再び響き渡り、彼女は抗うことができなかった。
影の中に飲み込まれるように、美和の世界は真っ暗になり、全てが静寂に包まれていった。
彼女の部屋には再び静けさが訪れ、本棚から落ちた本だけが孤独に床に転がっていた。

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