トが静まり返ったある晩、村の外れに住む平田雅人は、古い言い伝えを耳にした。
それは、トの奥に潜む鬼の話で、村人たちからはあまり語られようとしない恐ろしい物語だった。
鬼は、呪いをかけ、立ち止まった人間を永遠にその場所に留め置くという。
雅人はその話を気に留めず、いつも通りの夜に外へ出て、トの中を散策することに決めた。
星空が美しい晩で、町の明かりも遠くに見えたが、なぜか彼の心には不安が影を落としていた。
トに足を踏み入れると、辺りは異様な静けさに包まれた。
風の音すら聞こえない、まるで時間が止まったかのようだった。
その瞬間、彼はふと一つの影に気づいた。
そこには、長い髪を垂らし、赤い目を持つ鬼が立っていた。
雅人は一瞬にして身動きが取れなくなった。
まるで体が固定されたかのように、動こうと思っても一歩も踏み出せない。
鬼は口元を引きつらせて笑い、「立ち止まったね、雅人。」と囁いた。
彼は驚愕し、どうにか動こうと努力したが、その場から動くことができなかった。
鬼は彼の目の前に歩み寄り、冷たい手を差し伸べた。
「このトから出ることはできない。呪いがかかってしまったのだから。」
雅人は愕然としながらも、内心の恐怖を感じ、彼女も呪われたのか、鬼が話す言葉の意味を理解し始めた。
静寂と圧迫感がさらに彼を取り囲み、烈しい恐怖に飲み込まれていく。
「どうすることもできないのか?」彼は心の中で叫ぶ気持ちを抱えつつ、鬼を見つめた。
鬼は微笑みを崩さず、「私の思いに共鳴した者だけが、この場から解放される。」と言った。
その言葉に、雅人は自分の過去を振り返った。
彼の頭の中には、失われた友人や、仲間たちとの思い出がよみがえり、涙が溢れそうになった。
「もう一度、あなたの心の中の呪いを解いてみて。」鬼はさらに近寄ってくる。
彼は恐怖を堪え、心の奥に封じ込めた感情に向き合った。
失ったものの重さが、彼の中に広がっていく。
思い出すのは、亡くなった友人の笑顔、そしてその友人を助けられなかった後悔。
時が止まったように感じたその瞬間、雅人は心の中で叫んだ。
「私は解放されたい!失ったものを受け入れる覚悟がある!」その言葉を口に出したとき、鬼の笑顔が少しだけ消えた。
雅人はその瞬間、自分の平穏な過去だけでなく、苦しみや悲しみも受け入れた。
それから鬼は目の前で徐々に形を失い、霧のように消えていった。
雅人は自身の体が少しずつ自由になっていくのを感じ、驚きながらもトを後にしようとした。
彼の足元には、いつの間にか流れていた時間が戻ってきていた。
しかし、彼はトから出ることができたわけではなかった。
実は、彼の呪いは解かれたのではなく、別の形の呪いが彼にかけられていた。
彼の心に宿る未練が、トの中に閉じ込められたままであり、彼は今度はその未練と共に生きていくことが選ばれたのだ。
その後、村の人々が雅人の姿を見かけることはなかった。
彼は未練と共に静かに見守り続ける者となった。
彼のことを知る者は、ごく少数しかいなくなった。
村の人々は、トの鬼の物語として、雅人の話を、長い間語り続けた。
止まった瞬間は過ぎ去ったが、その背後にある感情は、永遠に閉じ込められているのだ。