彼の名は直樹、30歳のサラリーマンだ。
仕事に追われ、忙しい日々を送る彼は、ふとした瞬間に心のどこかが空虚さを求めることに気づいていた。
そんなある日、友人のすすめで訪れたのは、近郊の小さな山村だった。
村の周辺には古い神社や神秘的な森があり、地元の人々からは「怖い話」がたくさん語り継がれていた。
村に着いた直樹は、さっそくその神社を訪ねることにした。
古びた鳥居をくぐり、静かなる境内に足を踏み入れると、思わず背筋が寒くなる感覚がした。
しかし、彼の好奇心には勝てず、周囲を見渡した。
すると、ふと風に乗って耳に届く声。
微かだったが、確かに「戻ってこい」と囁くような声が聞こえた。
草木がざわめく中、直樹はその声の正体を探ろうと決意した。
声の方へ進むと、古びた社殿の裏に辿り着いた。
そこには小さな祠があり、その前には石碑が立てられていた。
興味をそそられ、彼はその石碑を見つめた。
碑文は風化してほとんど読めなかったが、かすかに感じる不気味な空気に気分が悪くなる。
声は続いていた。
「お前が来るのを待っていたぞ」
直樹は驚き、思わず後ずさりした。
目には見えない霊の存在を感じる。
恐れと好奇心が交錯し、彼はその場から逃げ出すことができず、呆然として立ち尽くしていた。
「戻ってこい、早く」と声は繰り返し響く。
その瞬間、頭に浮かんだのは、子供の頃に聞いた「声が道を示す」という伝説だった。
昔、村に住んでいた小さな子供が無くなり、その魂が今でもこの場所を彷徨っているという話だ。
直樹はその声を意識し続けることで、自分が何か特別な使命を持っているのではないかと錯覚した。
「私は、あなたを助けに来たのかもしれない…」直樹は呟いた。
すると、声はさらに強くなり、彼の耳元で囁く。
「そうだ、早く戻ってきてくれ!」
直樹は不安を抱えつつも、石碑の前で静かに目を閉じ、感覚を研ぎ澄ませた。
すると、彼の心の奥底で何かが揺れ動くのを感じた。
そこには忘れられた記憶と、胸を締め付けるような悲しみがあった。
「この子供も、私たちも、ずっと寂しかったんだ…」
涙が溢れ出し、彼は強く石碑に手を当てた。
「あなたの想い、私が受け止める。どうか安らかに…」声が徐々に静まっていくのを感じ、直樹はその場を後にすることにした。
その夜、彼は村の宿に泊まった。
すると夢の中に、子供の姿が現れた。
そして、彼はこう言った。
「ありがとう、あなたが私を思ってくれたおかげで、今はもう心配いらない。私も安らかに眠れるよ。」
目が覚めた直樹は、現実の世界が少しだけ明るくなったように感じた。
彼はこの体験を忘れない、そして日常に戻る前にもう一度神社を訪れておこうと決めた。
再びあの祠に辿り着くと、今度は何も声が聞こえなかった。
ただ静寂だけが彼を包んでいた。
直樹は優しい微笑みを浮かべ、霊たちの安らかな眠りが続くよう祈りを捧げた。
そして、自分自身もまた、かつての人生で傷ついた記憶を癒やしながら、新たな一歩を踏み出すことになった。
足元には、柔らかな木漏れ日が差し込んでいた。