深い山の中にひっそりと佇む小さな村があった。
この村には、かつて愛し合った一組の男女がいた。
彼らの名は昇平と美咲。
共に愛にあふれた日々を過ごし、結婚を約束した矢先、彼女は突如としていなくなった。
村人たちは口を揃えて、「彼女は山の奥で迷い、帰ってこられなくなったのだ」と噂を立てた。
昇平は美咲を失った悲しみを抱え、毎晩、山に向かって彼女の名前を呼び続けた。
そんなある夜、ひときわ強い月明かりが村を照らし出した時、昇平は森の中からかすかな犬の鳴き声を聞いた。
彼はその声に導かれるように、急いで森へと向かった。
心のどこかで、美咲が戻ってきたのではないかという期待を抱いていたのだ。
森の奥へ進むと、昇平は一匹の黒い犬が彼の前に現れた。
その犬は怯える様子もなく、ただじっと昇平を見つめていた。
気になった昇平は、その犬に近づいてみると、突然、犬はその場に伏せて、美咲の姿がどこか近くにいるということを示すように、虚ろな目で彼を見上げた。
昇平は思わず心が締め付けられ、「美咲!」と叫んだ。
その瞬間、犬は低い唸り声を漏らしながら走り出した。
昇平はその犬の後を追い、薄暗い森の中を進んでいった。
やがて、犬は立ち止まり、古びた祠の前で振り返った。
昇平はその祠の中に、かつて自分が愛した美咲の姿があることを期待しながら、恐る恐るその中に足を踏み入れた。
だが、祠の中には美咲の姿はなく、ただ古びたお札と彼女の名前が刻まれた石像があった。
昇平は混乱し、再び「美咲!」と叫んだ。
その瞬間、犬の姿が変わり、黒い霧へと変わり始めた。
昇平は恐怖を感じたが、愛する美咲のために立ちすくんだ。
霧の中から女性の声が響いてきた。
「愛する者よ、私はもうこの世にはいない。しかし、私の愛はまだ生きている。私を探さないで…私を忘れないで…」その言葉は美咲の声に似ていたが、どこか冷たく、無機質だった。
昇平の心は痛み、彼はその言葉に耳を傾けることができなかった。
「私は君を探す。君がいなくなったこの日から、ずっと君を求め続けてきた。決して忘れることはない」と叫んだ。
透明な霧に包まれた犬は、再び走り去った。
昇平はその後を追ったが、森の中で迷い、仲間たちの呼ぶ声すら聞こえなくなっていた。
時間が経つにつれ、彼は美咲の姿が見えないことに絶望した。
その時、犬の声が再び聞こえた。
今回は優しい声だった。
「私を愛してくれるなら、解放して。私の愛はあなたを傷つけるかもしれないけれど、私はあなたに囚われたままではいられないのです。」昇平は涙を流し、犬が再び姿を表すと、黒い霧の中で美咲の影が見えた。
その瞬間、昇平はすべてを受け入れる決意をした。
「君を愛している。でも、君が幸せであることが何より大事だ。」言葉を口にするのがやっとで、彼は完全に視界を失ってしまった。
犬の姿は消え、美咲もまた霧の中に消え去った。
昇平は愛する人を見捨てることはできなかったが、その選択が彼にとっての悲劇となった。
昇平の心には、彼女の愛は永遠に残る。
しかし、同時に彼は一人、霧の中で彷徨うこととなった。
愛が彼を連れ続ける限り、彼の日常もまた、過去の影の中で生き続けるのであった。