静かな街の夜、田村健二は遅くまで働いた帰り道、薄暗い路地を通っていた。
周囲には人影もなく、只々月明かりに照らされた街灯の明かりが寂しさを増す。
普段は明るい街も、こんな時間になると恐怖感を覚える。
健二は心の中で早く家へ帰りたいと願っていた。
しかし、その思いとは裏腹に、足が進まない。
その日の帰り道、健二はいつもとは違う音を耳にする。
それは、薄暗い路地の向こうからかすかな「軋」とした音だった。
何かが引きずられているような、不気味な音だった。
振り返るが、誰もいない。
心臓が早鐘を打つ。
彼は一瞬足を止め、音の正体を探ろうと身を乗り出す。
その時、再び「軋」という音が響き、今度は少しずつ近づいてくるのを感じた。
「誰かいるのか?」と心の中でつぶやく。
声が出せないのは、恐怖のあまり口がひん曲がってしまっているからだ。
しかし、勇気を振り絞って路地の奥へ進むことに決めた。
その瞬間、彼の背後から不意に冷たい風が吹き抜け、肌が粟立った。
音のする方へ近づくと、そこには古びた建物がひっそりと佇んでいた。
建物の前には、朽ちた木製の檻のようなものが置かれている。
その中には、一枚の血に染まった布切れが無造作に落ちていた。
健二は思わず息を呑んだ。
その布切れには、確かに誰かの血の跡が残っている。
胸の中が締め付けられるような恐怖でいっぱいになる。
「ここで何があったのか?」と彼は考えた。
しかし、行動することができず、ただその場に佇む。
すると再び「軋」という音とともに、建物の扉がきしんだ。
その扉の隙間から、薄暗く揺れる明かりが漏れ出している。
無意識のうちに、健二はその扉に向かい歩き出していた。
「中に入るのは危険だ」と思いながらも、彼は扉を開けてしまった。
古びた空間に足を踏み入れると、冷気が彼を包み込み、背筋が凍るような感覚を覚える。
そこに広がるのは、血の跡が残された床と、まるで過去の出来事を示すかのような不気味な絵画だった。
絵画には原始的な血の儀式を思わせるような、無数の人々の姿が描かれていた。
「この場所は、何か恐ろしいことが起きている…」健二の頭の中に疑問が渦巻く。
心臓がドクドクと音を立て、汗がじわじわと噴き出してくる。
そんな時、突如として背後から「ここに来てはいけない」と低い声が響いた。
振り向くと、そこには白い服を纏った女性が、黒い長髪を垂らし、無表情で立っていた。
「何…?」言葉にならない思いで彼は声を出す。
その女性はじっと健二を見つめ、さらにその声は続ける。
「彼らの血を引き継いでいるあなたには、この場所が見えてしまうのです。」彼女の言葉には、明確な警告が含まれていた。
健二は自分の血筋に何かが隠されていることを意識し、全身が震え上がる。
彼女は自らの手を見つめながらゆっくりと続ける。
「許された者だけが、この場所を知ることができる。しかし、あなたにはその資格はない…」
その時、背後から再び「軋」という音が響き、健二は驚いて振り返る。
出入り口はすでに閉じていた。
絶望感に襲われ、彼は必死に扉を叩き、助けを求めた。
だが、外の世界は静まりかえり、答える者はいなかった。
恐れと後悔の中で、健二はその場に立ち尽くした。
彼の血が、過去の惨劇と繋がっているということを知るすべがないまま、暗闇に取り残されていく。
彼は何が運命だったのかを思い浮かべることもできず、ただその場所で静かに息を潜めることしかできなかった。