「帰れぬ山の囁き」

山の静寂が重くのしかかる中、佐藤健二は友人たちと共に登山に出かけた。
山の頂上でキャンプをするために選ばれたその場は、最近話題の「霊峰」として知られていたが、彼らは軽い気持ちでその名前を知っているだけだった。

登山道を進むにつれて、健二は少し不安を覚えた。
周囲は次第に人の気配が消え、ただ木々のざわめきや風の音しか聞こえない。
友人たちが元気に笑いながら歩く姿を見て、彼はその不安を心の奥に押し込み、さらに前へと進んだ。

やがて、彼らは小さな clearing に達し、隣に流れる小川のせせらぎを感じながらキャンプの準備を始めた。
夜が迫るにつれて、周囲が徐々に暗くなり、星空が山を飾る。
友人たちは焚き火を囲み、楽しげに話に花を咲かせた。
しかし、健二は何度も不思議なことに気づいていた。

焚き火の光に照らされる影が、時折、人間の姿に見えることがあった。
それに気づいたのは彼だけではなく、友人の中村も同様だった。
二人は目を合わせ、ちらりと山の奥を見つめた。
そこに何かがいるような気配を感じた。

「おい、あの楽しそうな声は誰のだ?」中村が言った。
彼らの周りには、他に誰もいないはずだ。
二人は思わず立ち上がり、暗闇の中へ歩き出した。
声を探しながら進むと、どこからともなく笑い声が増していく。
同じ道を辿るのに、どうしてこんなに遠回りしなければならないのか、不思議に思った。

さらに進むと、彼らは不自然に並んだ木々と、異様に静かな気配を感じた。
まるで周囲の空気が凍りついたかのようだった。
こんな場所ではなく、誰かの声に引き寄せられることに戸惑いを覚える健二と中村は、意を決してさらに足を進める。

そして、ついに辿り着いた先に、「祭壇」のような小高い場所があった。
そこには奇妙な石が積まれ、周囲には細い白い布がはためいている。
祭壇の周りには、まるで何かの儀式に参加しているかのような無数の影が踊っていた。
彼らは「憑かれている」と感じた瞬間、心の奥底から恐怖が湧いてくる。

「何かが…いる。帰らないといけない!」健二が声を上げると、中村は慌てて彼を引き戻したが、その瞬間、彼らの行動は無駄だった。
陰の影の中から何かが声を掛けてきた。
「お前たちも、仲間になれれば素敵なのに。」その声は女性のように柔らかく、狂った笑いを混じえていた。

健二はその瞬間、全身が凍りつくような感覚に襲われた。
友人と共に立ち尽くす中で、影の一つが彼に向かって歩み寄る。
恐怖に駆られて両手で耳を押さえ、逃げる準備をした。
「帰りたい…」そうつぶやいた瞬間、友人の中村の姿が目に映らなくなってしまった。

「仲間にならないなら、戻ることは許さない。」その声が響く。
健二は背筋が凍りつき、どれだけ逃げても誰も助けてくれないという孤独に打ちのめされる。
もう一度振り返ると、満面の笑みを浮かべた途端、真っ白な顔が目の前に現れた。

「さあ、帰ろう。私たちと一緒に。」その声は、彼の心に響いていた。
恐る恐る周囲を見ると、他の影も彼に向かって手を伸ばしている。

それからの記憶は曖昧だ。
「何が起きたのだろう」など考える余裕がなく、ただ胸の中には重い空虚感が広がっていた。
不安な気持ちに襲われながら、放置されたキャンプサイトへ戻ると、結局、彼の友人たちは何も知らずに普通に戻っていた。
しかし、 仲村の姿は二度と戻らなかった。

何月何日のことか、彼の声は夜になると山の隅々に響き渡り、「帰れ、帰れ」と周囲に忍び寄る。
いつの間にか、佐藤健二もその仲間になってしまったのかもしれない。
山へ向かう者たちの耳に、彼らの声は今も響いているという。

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