河は静かな村の外れに流れる、澄んだ水を湛えた美しい川だった。
村人たちはこの川を大切にし、命の源として敬っていた。
しかし、川には古くから語り継がれる、いくつかの不穏な伝説が存在した。
ある秋の夜、村に住む青年、佳樹は友人たちと一緒に川のほとりで焚き火を囲んでいた。
暗闇の中に揺れる炎の明かりは、少しずつ彼らの心を温めていたが、佳樹の心には不安が渦巻いていた。
というのも、村で最近、行方不明な人が増えているという噂が広がっていたからだった。
「川に近づくと、気をつけた方がいいって言うよ。何かが引きずり込まれるって。」友人の優斗が言った。
「まさか、そんなことあるわけないだろ。あれはただの噂だよ。」佳樹は自分を落ち着かせるように言ったが、心の中では明らかに不安が募っていた。
焚き火を囲み、みんなで笑い声を上げるうちに、時間は過ぎていった。
だが、佳樹の気持ちは次第に高まる不安感でいっぱいになった。
彼は一瞬、川の流れを見つめた。
月明かりが水面に反射し、何かがその奥に潜んでいるように思えた。
「ちょっと川のほう、見てくるよ。」佳樹は立ち上がった。
「気をつけて、戻って来てね!」優斗が声をかけた。
佳樹は浜辺を歩き、川の淵にたどり着いた。
水面は静かで、まるで鏡のように夜空の星々を映し出していた。
しかし、彼はその美しさとは裏腹に、ひどく不穏な空気を感じ取った。
辺りは静まり返り、ただ川の流れる音だけが響いていた。
そのとき、川の中から微かに歌声が聞こえてきた。
柔らかい声で、まるで誰かが誘うように歌っている。
佳樹はその声に引き寄せられるように、川の中に足を踏み入れた。
水は冷たく、彼の足をやさしく包んだ。
「誰が歌っているんだ?」心の中に疑問が浮かんだ。
その瞬間、歌声が強まり、すぐ目の前にうっすらと女性の姿が見えた。
彼女は長い黒髪を水面に漂わせ、浸かっている川の中で優雅に舞っていた。
その顔は美しいが、どこか冷たく、無表情だった。
「私と一緒に来て。」彼女の声が、まるで水に溶け込むように響いた。
佳樹はその瞬間、ただの好奇心で近づくつもりだったが、心の奥で何かが警鐘を鳴らしていた。
「引きずり込まれる」と言われていたことを思い出して、急に恐ろしさが彼の背筋を走った。
そのとき、友人との楽しい時間、彼がまだ果たせていない夢を思い出した。
「いかん。戻ろう!」彼は強い意志でその場から離れようとしたが、彼女の目が彼を捕えた。
暗く、底知れぬ深さを持つその目には、自分と同じような苦悩が宿っているように思えた。
「私を置いて行かないで。」彼女の声が悲しみを帯び、その瞬間、佳樹は何かにつかまれたような感覚がした。
急に力が抜け、川の水が彼を引き寄せていく。
「助けて!」佳樹は必死に叫んだ。
しかし、声は水に消え、友人たちの笑い声も遠のいていった。
彼は気づいた時には、川の深みに沈んでいた。
そのまま何もかも失い、静寂の中に放り出される。
周囲には何もなく、冷たい水の中で、彼は深い孤独感を味わっていた。
数日後、佳樹の行方不明が村中に広がった。
村人たちは川を訪れ、彼のことを思い出し、彼が最後に見たものを語り合った。
しかし、水面は静まり返り、何も起こらなかった。
数ヶ月後、村では新たな噂が流れた。
今度は一人の少女が川のほとりで美しい声を聞いたという。
そしてその少女は、佳樹の行方を追い求めるように、川に近づいて行ったという。
その後、彼女もまた姿を消してしまった。
村人たちは再び、川の恐ろしさを思い知ることとなった。