かつて、古い館が静かな山中にひっそりと佇んでいた。
その館は、周囲からは「影の館」と呼ばれ、近づく者はめったにいなかった。
特に、ある特定の夜になると、不思議な現象が起こると言われていた。
その夜は、春の訪れを告げる「春分の日」の夜。
春分の日、若い男の田中は友人たちと肝試しのつもりで、影の館を訪れることになった。
彼は好奇心旺盛で、特に心霊現象には興味を持っていた。
不安がる友人たちを尻目に、館の扉を開けた。
辺りはしんと静まり返り、ひんやりとした空気が流れていた。
「ただの噂だろう、さあ入ろう」と田中は言い、友人たちを鼓舞した。
薄暗い館の中に足を踏み入れると、老朽化した壁や、埃を被った家具が彼らを迎えた。
奥の部屋からは微かに声が聞こえるようだった。
心を躍らせた田中は、「行ってみよう」と言って、友人に先立って奥へ進んだ。
館の中央に広がる大きな部屋には、長いテーブルが置かれ、その上には何かの儀式に使われる道具が散らばっていた。
田中は、その様子に心を躍らせた。
だが、次の瞬間、冷たい風が吹き抜け、彼の全身を震わせた。
「なんだ…?」彼が振り返ると、友人たちはすでに恐怖に駆られ、外に逃げ出していた。
田中は彼らの様子に動揺しながらも、館の奥に進んでしまった。
その先には、一つの鏡が掛かっていた。
鏡の中には、彼自身の姿が映し出されていた。
しかし、よく見るとその姿は少しおかしい。
微笑んでいるはずの自分が、不気味に笑っているように見えた。
不安が募る田中は、その場から逃げようとした。
しかし、足は動かなかった。
まるで何かに引き留められているかのようだった。
ふと、鏡の中の自分が話し始めた。
「お前は、向こう側に来たがっているのだろう?」その声は低く、恐ろしい響きを持っていた。
「何を言っているんだ!」田中は叫んだが、その声は館の静寂に溶け込んだ。
鏡の中の彼は、ゆっくりと手を伸ばして田中に向かって言った。
「私はお前の魂の一部。向こう側に来れば、真の安らぎが得られる。」その瞬間、田中は理解した。
この館はただの廃墟ではなく、魂を吸い取る場所なのだと。
田中は恐れおののいた。
「私はここを出る!」と怒鳴り、鏡を叩いた。
しかし、鏡は割れることもなく、その代わりに、視界が歪んでいく。
自分の周囲が変わり始め、見慣れた部屋が不気味な影に包まれていった。
館の壁が息を呑むかのように近づいてくる。
「お前はもう出られない。お前の魂は私たちに属する。」鏡の中の自分が低い声で繰り返した。
田中は必死に後ずさり、一歩ずつ逃げようとしたが、館はゆっくりと彼を飲み込んでいく。
その時、不意に館の空気が温かくなり、彼の背後で友人たちの叫び声が聞こえた。
「田中、戻れ!」と叫んでいる。
彼は振り返り、友人たちの姿を見つけた。
しかし、彼はもう戻れない。
何かが彼を引き寄せていた。
「田中!」友人たちが手を差し伸べる。
しかし、彼の心には、「魂」という言葉が深く響いていた。
「なぜ…こんなところに引き寄せられたのか…」。
彼は最期の力を振り絞り、友人たちに向かって手を伸ばした。
だが、その瞬間、鏡の中から力強い影が伸びてきて、田中を捕まえた。
友人たちは悲鳴を上げ、田中は館に取り込まれる。
影の館は再び静寂に包まれ、田中の姿は二度と現れることはなかった。
残された友人たちが外に逃げ出すと、背後の館は静かな闇に沈んでいった。
影の館の中では、無数の魂が彼を待ち続けているのだった。
次の春分の日には、また新しい訪問者が館を訪れるに違いない。