天野智也は都会の喧騒から離れ、静かな山へと一人旅をすることに決めた。
彼は日常のストレスから解放されることを願って、自然に癒されることを期待していた。
この山は特に観光地として知られているわけではないが、智也は友人から「大自然の魅力に満ちている」と聞かされていた。
その言葉が彼をこの地へ導いた。
智也は山の中腹にあるキャンプ場でテントを張り、夕食に自炊をした。
周囲は静まり返り、木々のざわめきさえも心地よいBGMのようだった。
彼は一日を振り返る中で心が落ち着いていくのを感じていた。
夜が深まり、星空が広がった頃、智也はテントの中に入って横になった。
しかし、深夜、目を覚ますと、外から何かの声が聞こえた。
最初は風の音かと思ったが、間違いなく人の声だった。
「助けて…」という弱弱しい声だった。
その声は、どこか切羽詰まった様子で智也の心をざわつかせた。
彼は少し勇気を振り絞り、懐中電灯を持って声の正体を探ることにした。
キャンプ場を一歩踏み出ると、濃い霧がかかっていた。
視界は途端に悪くなり、直感的に不安を覚えたが、「もしかしたら誰かが困っているのかもしれない」と思い、一歩ずつ声の方に向かって進んだ。
霧の中で何度も呼びかけると、声は少しずつ近づいてくるようだった。
「誰かいるの?」と呼びかけると、返事はなかった。
ただ、声だけが続き、その声が智也の方へと近づいて来た。
やがて、薄暗い先に人影が見えた。
それは女性のようだったが、顔ははっきりしなかった。
彼女は着物を着ており、長い黒髪が霧の中に舞っている。
「助けて…」彼女の声は言葉を繰り返していた。
智也は恐れを感じつつも、その女性に近づこうとした。
しかし、彼女の目が智也を見つめた瞬間、恐怖が彼の中に広がった。
彼女の目は虚ろで、何かに捕らわれたように見えた。
智也は思わず後退り、声を失った。
気がつけば、彼女はすうっと霧の中に消えてしまった。
「俺は何を見たんだ?」混乱した智也は、再びキャンプ場へと戻ろうとしたが、霧に包まれて全く道が分からなくなってしまった。
周囲にはまるで自分がどこにいるのか分からない迷路のような感覚が漂い、不安が膨れ上がった。
この山には何かが存在しているのかもしれない。
智也は焦り始めた。
携帯電話を取り出そうとしたが、受信することができない。
寒さがじわじわと彼の体に染み込んでくる。
余計に不安が募る。
彼は地面に手をつき、落ち着こうとした。
そして再び声の方へ向かって進んだ。
「助けて…」その声が彼を再び聞きつけた。
声を辿れば辿るほど、またあの女性が視界に入った。
しかし、今度は彼女の周囲には何か霊的なオーラが漂っているのを感じた。
「助けて…」同じ言葉が繰り返され、智也は徐々に理解する。
彼女はこの山に縛られ、終わらない苦しみを抱えて生きているのだ。
智也は胸が締め付けられる思いをした。
彼女はもしかしたら、智也に助けを求めているのではなく、彼自身の終わりのない苦しみを表現しているのかもしれなかった。
彼は「助けはできないかもしれないが、あなたを忘れない」と心の中でつぶやく。
しかしその瞬間、女性はじわじわと消えかけ、智也の前から霧のように消えていく。
彼はその後、無事に朝を迎えることができたが、すでにその山から離れることを決めていた。
彼は帰った後もあの女性の姿を忘れることができなかった。
そして、彼は何度も自然の中で自己を見つめ直すことをできずにいる。
あの山、その霧、そして女性の声が彼の心に深く刻まれ、終わりのない物語として留まっていた。