消えゆく記憶の墟

夏の終わり、彼女の名は美香。
大学の友人たちと肝試しに出かけた先は、都市伝説で語り継がれる「墟(廃墟)」だった。
その場所は、かつて栄華を極めた大きな旅館だったが、今や朽ち果て、木々に覆われた姿を見せている。
地元の人々は、この場所を「亡霊の宿」と呼び避けていたが、若者たちにはそれが逆に好奇心をそそった。

美香は気がかりだった。
友人たちの中には、自分を恐れさせようとする者たちがいたからだ。
特に、勇気を試されることで、彼らの心が結束することを望んでいた。
しかし、彼女自身はただの好奇心からくる足取りで、この場にいたのだ。
肝試しの夜、彼女は不安を感じながらも他の友人たちの後をついていった。

「さあ、最初にこの旅館に入るのは誰だ!」と、リーダーの信彦が田舎特有の声で叫ぶ。
美香は身内のノリについていくように踏み出した。
薄暗い中、彼らは入口に立ち、朽ちた扉を押し開けた。
内部は静寂に包まれ、かつての繁盛を想像させるような暗い影が浮かんでいた。

美香は、少しずつ心の中に恐怖が芽生え始めるのを感じた。
奇妙な音、耳をつんざくような静けさ、肩を小刻みに震わせる風。
友人たちはとうに恐怖心を解き放ち、遊び半分で中に入っていくが、美香は何か異様なものに囚われているような気がしていた。

内部は次第に複雑に絡まった道のようになり、明暗が入り混じる様子に彼女の心は乱れる。
そして、彼女たちは一つの大きな部屋にたどり着いた。
その部屋は特に広く、不気味な雰囲気を漂わせていた。
ここに、何かがあるのではないかと美香は感じて仕方なかった。

信彦が冗談を言い、笑い声が響く中、美香は不意に目にしたものに圧倒された。
壁一面に、「落ちる」「憶える」「滅ぶ」という言葉がなぞられていた。
なぜかそれらの言葉が彼女の心に刺さり、一瞬、視界が歪んだ。
恐怖のあまり、彼女は目をそらそうとしたが、その瞬間、何かが彼女の心に流れ込んできた。

幼いころの記憶が波のように押し寄せる。
自分が家族と共に過ごしたあの幸福な日々、遊んでいた温もり、そして崩れ去った瞬間が。
美香は自分の内部で何かが崩壊していくのを感じていた。

「美香、大丈夫か?」友人の一人が心配して近づく。
その時、突然、薄暗い空気が変わった。
壁に書かれた言葉が、まるで生きているかのように明滅し、何かが彼女を呼んでいる。
混乱の中、美香は意識を失いそうになった。

「私の中に、何かがいる…」彼女はそう呟いた。
友人たちは不安を抱えながらも、彼女を抱きかかえようとしたが、その瞬間、ビリビリとした感覚が美香を包んだ。
彼女は視界が赤くなり、まるで別の世界に引き込まれるかのようだった。

気が付くと、彼女は一人ぼっちだった。
友人たちはどこかに消え去り、静寂だけが残っていた。
壁にはかつての激しい思い出が浮かび上がり、彼女の心をさらい続ける。
「想いは留まる、ここに…消えない…」その声は、美香の内に響き、彼女は思わず涙を流した。

やがて、彼女は朽ちた廃墟の中、自分の心の傷を自覚した。
人々の憶いが、時と共に滅びゆく。
この「墟」は、ただの廃墟ではなく、消えゆく心の跡であったことを。
美香は、その思いを受け止める覚悟を決めた。
そして、彼女は静かに立ち上がり、友人たちを呼ぶことを決意した。
今度こそ、彼女は全ての思いを抱えて立ち向かうのだと。

永遠に記憶の中にある悲しい想いを、大切に抱きしめて。

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