田中健二は古びた村に住んでいる。
村は周囲を山に囲まれ、外界とのつながりは薄く、時間が止まったかのような静けさが漂っていた。
かつてにぎわった祭りの名残も薄れ、人々は生気のない表情で日々を過ごしている。
その村には一つの噂があった。
何十年も前に起きた事件が村人たちの間に根強く残っているのだ。
数年前、健二の祖父が語っていた話を思い出す。
かつてこの村に住んでいた神田家の娘、恵は美しい姿をしていたが、彼女には誰も話しかけることができなかった。
その理由は、彼女が持っていた特異な力にあった。
恵は他人の憎しみや妬みを吸収することができ、寄り添った人間は次第に心を壊されていったという。
村は彼女を恐れ、おそれて避けるようになり、恵は一人孤独に過ごすことになった。
ある日、健二の祖父が言った。
「彼女が一人になるのを見かねた若者たちは、恵に近づこうとしたが、結局は彼女の影に飲まれてしまった。恵は村人たちの憎しみの象徴となり、自らもそれに飲まれ、消えてしまったのだ。」
健二は村の外れにある神田家の廃墟を訪れた。
そこには恵の生きた証がまだ残っているという噂があった。
特に彼女の影が映る壁の前では、憎しみを抱えた者は必ず消えてしまうと言われていた。
興味本位で訪れた健二は、廃墟の中を進んでいく。
冷たい風が吹き、彼の心の奥にある暗い感情がじわじわと浮かび上がってくるのを感じた。
健二は恵のことを思い浮かべながら、その姿を思い描いた。
村人たちが彼女をどれだけ恐れていたか、彼女の優しさが消えてしまった経緯を想像すると、心がざわつく。
若者たちが集まった夜、彼女を排除しようとした理由は、これまで持っていた憎しみの塊だったのかもしれない。
廃墟の奥に進むと、薄暗い部屋が現れた。
そこには彼女の影が映る壁があった。
その影は、まるで生きているかのように動いていた。
健二は恐れを感じながらも、その影に近づく。
近づくにつれ、彼の心の中の憎しみや孤独が、何かの力に引き寄せられていくのを感じた。
彼は欲望や憎悪に満ちた感情を抱えていた。
すると、突然、冷たい風が吹き抜け、部屋の温度が急激に下がった。
影は彼に向かって剣のように尖った形を作り、健二の心を貫いていく。
彼は恐怖を感じたが、同時にその影に引き寄せられるようだった。
彼は生きていることを感じると同時に、彼女の痛み、悲しみをも感じていた。
彼は叫び、心で憎しみをなくそうとしたが、影に飲み込まれ、ついに消え去ってしまった。
村人たちはその後、田中健二が行方不明になったことを知るが、その情報はすぐにかき消され、村の中で誰も彼を意識することはなかった。
廃墟には今でも彼の影が映り、時折、憎しみでよくある懺悔が聞こえてくるという。
“影に飲まれた者は、愛を求めてやってくるのだが、憎しみを抱えたままでは、決して戻ることはできない。
”村の古い言い伝えが、影として残り続ける。
そして、そこには恵とともに、健二の姿も確かに映し出されている。
