霧深い夜、露が草木に滴り落ちる北海道の小さな村。
村人たちは長い間、田んぼの向こうにある古びた神社を避けていた。
神社には、かつて小さな孩童が行方不明になったという悲しい話が語り継がれていた。
その日は、何か特別なことが起こるような不気味な雰囲気が漂っていた。
友人の健二と明美は、好奇心に駆られて、その神社に足を運ぶことにした。
「こんな話、ただの迷信だよ」と健二は笑って言ったが、明美の心には不安が渦巻いていた。
「でも行くなら、早めに戻ろうよ。この村のこと、なんか怖いもの」
神社に近づくにつれ、道は急に狭くなり、周囲の木々が生い茂り、視界が遮られていった。
神社に着いたとき、二人はその異様な静けさに息を飲んだ。
周囲は薄暗く、月明かりが木の葉の隙間からこぼれるだけだった。
二人は神社の鳥居を抜け、境内に足を踏み入れた。
そこで彼らを迎えたのは、ひんやりとした空気と、響くような静寂だった。
ふと、明美が何かを感じ取った。
「ねぇ、なんか変な気配がする……」と呟くと、健二は「気のせいだよ。ここはただの古い神社だ」と強がった。
その時、健二の耳に微かに聞こえる声があった。
「帰れ……帰れ……」低い声が響き、まるで森の奥深くから呟かれているかのようだった。
「今の聞いた?」健二は驚き、明美に問いかけたが、彼女は目を見開いて震えていた。
「聞こえた……どうしてこんなところに来ちゃったんだろう、早く帰りたい」
その時、二人の周りを包むように、霧がふわふわと立ち込め始めた。
足元に露が集まり、しっとりとした音を立てながら光を吸い込んでいく。
なんと、霧の中に人影がちらりと移った。
「あれ、何……?」健二が叫ぶと、影は一瞬で消えた。
二人は身を寄せ合い、恐怖に震えた。
下を向いた明美が、地面に何かが落ちているのを見つけた。
小さな人形だった。
まるで幼い子供の手に持たれているかのような、古びた顔をした人形。
「これ、どうしよう?」明美が声を震わせて言うと、健二は「もしかしたら、これを置いて帰ることが必要なんじゃないか?」と提案した。
二人はそれを神社の祭壇に戻そうとした瞬間、再び不気味な声が響き渡った。
「返せ……返せ……」彼らは恐れを抱えたまま、祭壇の前に立つ。
しかし、影が彼らの周りを取り囲むように動き出した。
恐れる健二は「逃げろ!」と叫び、明美を引っ張った。
その時、何かが明美の肩をつかんで止めた。
振り返ると、黒い影の中からタラタラと滴る露の粒が、彼女に向かって溢れてきた。
無理に引き剥がそうとしても、影はしなやかに絡みつき、声がどんどん大きくなっていく。
「帰れ、お前たちを連れて行く」
心臓の鼓動が高まり、冷たい汗が彼女の背筋を走る。
明美は辺りを見回し、全てが真っ暗になっていくのを感じた。
怖れを感じながらも、彼女は「これ、返さなきゃ!」と叫び、手に持った人形を強く祭壇に置いた。
すると、影は一瞬静まり返り、周囲の音が消えた。
その瞬間、冷たい風が吹きすさび、霧が晴れ、月明かりが二人の顔を照らした。
健二は明美の手を強く握り、「早く帰ろう!」と並んで境内を走り去った。
彼らは無事に村に戻り、神社の影から解放された。
しかし、この出来事は村の暗い記憶として、二人の心に深く刻まれた。
影の声がいつまでも耳の奥に響き、彼らは二度とその神社には近づかなかった。
それ以降、神社の周辺で見かける露が、まるで幽霊の涙のように感じられたのだった。