かつて、山深い村に「風鬼」と恐れられる鬼が住んでいた。
彼の名は一郎で、背は高く、体は逞しく、顔は恐ろしい形相をしていた。
しかし、一郎が人間を襲ったという話はなく、村人たちが彼を鬼と呼ぶ理由は、彼が山を守る存在であったからだ。
彼の力で、周囲の自然が保たれ、村は恵まれていた。
村人たちは、一郎との協定を結ぶことで、彼の怒りを封じ込めていた。
彼は毎年、春の訪れと共に祭りを開くよう村の者たちに命じた。
祭りでは、一郎のために供え物が捧げられ、村人たちは彼を敬い、感謝した。
そうすることで、一郎は村を守り続け、誰も彼を恐れなくなった。
しかし、ある年、村に住む若者、健二が異変を起こした。
彼は祭りの際に一郎の存在を軽んじ、供え物を泥酔した挙句に食べてしまった。
その夜、彼は心の中に恐れを抱きながらも、朝まで一郎のことを笑い話にしていた。
祭りの翌日、いつもとは違う風が村を吹き抜けた。
健二はその風の異変を感じ取った。
普段の柔らかな風が、何かを訴えかけるかのように強く、冷たく吹き荒れていた。
その時、一郎の怒りが封じられたものが解放されたのだと気づいた。
健二は恐れを抱きながら、山へと向かった。
彼は一郎に謝罪し、その力を再び封じるための儀式を行おうとした。
しかし、山に近づくにつれ、風がますます強まる。
彼は口を開くと、言葉が吹き飛ばされ、感じるのは冷たい恐怖のみだった。
ついに山の頂上に到達した健二は、一郎を呼ぶ。
「一郎様、私の過ちをお許しください！」と声を張り上げるが、山は静まり返り、風だけが響きわたる。
その瞬間、目の前に一郎の姿が現れた。
彼は血のように赤い目を輝かせ、その力を解放しようとしていた。
風が彼の周囲を渦巻き、まるで悪魔のように彼を取り巻く。
健二は恐れに震えながらも、一郎に向かって言った。
「私はあなたの力を侮りました。どうか、再び村を守ってください！」
一郎は冷たい声で言った。
「お前が私の気持ちを理解しようとしなかったせいで、私は今、村を守ることができなくなった。風は私の怒りだ。お前のせいで、この封じられた力が現れたのだ。」
健二は悲鳴を上げ、「助けてください！」と叫んだ。
風は一層強くなり、彼の身体を翻弄する。
あまりの恐怖に耐えかね、彼は山の裾に向かって逃げ出したが、風に阻まれ、前に進めない。
その日の夜、村は銀色の霧に包まれ、強風が吹き荒れていた。
人々は恐れながらも、窓を閉ざし、一郎の復讐を恐れていた。
健二は家に戻ることもできず、風に翻弄され、山の中で迷子になってしまった。
翌日、村の人々が山の周囲を探したが、健二の姿はどこにも見当たらなかった。
彼の叫び声は山の奥深くに吸い込まれ、ただ静寂のみが戻ってきた。
村人たちは、一郎の力が再び解き放たれたことを理解し、彼を忌み嫌うようになった。
そして、数ヶ月後、村では再び祭りが開かれることなく、一郎の鬼伝説だけが語り継がれた。
健二の失踪は、村の禁忌として語られ、彼は風に吹き消されるように、永遠の存在となった。
村人たちは、今も一郎の怒りを恐れ、風が強く吹くときに彼の恐ろしさを思い出すのであった。
