佐藤隆は、東京のとある古びたアパートにひとりで住んでいた。
彼の周りには、昔からの不穏な噂が絶えなかったが、隆はそんな話を信じるタイプではなかった。
それでも、ある晩、彼は窓の外から不気味な音を耳にした。
それは風が吹く音ではなく、まるで人の声が混ざったような、ささやき声だった。
その晩、隆は眠れぬままベッドに転がり、風の音を聞きながら思いを巡らせた。
彼の心には「抗う」という言葉が浮かんでいた。
父から聞かされた話では、あのアパートは、かつて存在した村の人々がさまよっている場所だと言われていた。
彼らはかつての生活を求め、時折風に乗って人の耳にささやくのだと。
次の日、隆は気にしないことにした。
しかし、窓をあけるたびに不気味な音が聞こえたため、彼はとうとう気が狂いそうになった。
そんなある日の午後、彼はついにその声の正体を確かめるために、アパートの周りを探ることにした。
階段を下りるところから、彼の心はざわつき、寒気が背筋を走った。
アパートの裏手には一面の草むらが広がっていた。
草むらを抜けると、目の前には朽ち果てた木の小屋が見えた。
そこからは風が強烈に吹き抜け、隆の髪を乱す。
その時、彼は小屋の扉が微かに開いているのを見つけた。
好奇心に駆られ、他の誰もいないこの場所に一歩足を踏み入れた。
小屋の内部は暗く、古びた家具や埃まみれの道具が所狭しと並んでいた。
その中で、隆の目に飛び込んできたのは一冊の古い日記だった。
彼はそれを手に取り、ページをめくった。
そこには、風によって村の人々が消え去り、その犠牲になった者の記録が残されていた。
「私たちは忘れられた」と、日記には悲痛な言葉が綴られていた。
隆は日記を読み進めるうちに、思いもよらぬ息苦しさを感じ始めた。
突然、強風が吹き荒れ、小屋の中がざわめき始めた。
隆は恐れを抱いた。
「これが、抗うことの代償なのか?」彼は振り返り、小屋の出口を目指そうとしたが、風が彼を捕らえ、まるで拒絶するように引き戻そうとした。
彼は必死に出口に向かい、風に立ち向かう。
すべての力を振り絞って立ち向かうが、それでも風の力は強かった。
心の中で「逃げなければ!」と叫びながらも、身体が言うことを聞かない。
まるで何かが彼を引き留めているかのようだった。
その瞬間、ふと、隆の耳にあの声が聞こえた。
「私たちを思い出して…」その音は水面に波紋を広げるかのように、彼の脳裏に響いた。
彼はその声に抗うかのように、「いやだ、忘れられない!」と叫び続けた。
しかし、それは虚しい叫びだった。
彼の視界が真っ暗になり、風が彼を飲み込んでいく。
ある瞬間、彼は力尽きて地面に崩れ落ちた。
小屋の周りは静まり返り、風も元の穏やかな姿に戻っていた。
次第に周囲が色づき、隆の存在が消えていく。
月日が経ったある晩、再びあのアパートの住人が新たに引っ越してきた。
その者は、隆が消えたアパートの秘密を知ることもなく、また風の音に耳を澄ますことになるだろう。
古びた小屋には、今でも村の声が風に乗ってささやき続けるのだ。
「私たちを思い出して…」と。
その声に抗う者を求めて。