昔々、ある村の外れに、「願いの木」と呼ばれる古い木があった。
その木は、村人たちの願いを叶えると言われており、多くの人々が訪れては祈りを捧げていた。
この木は、数百年以上の年月を経ており、太い幹が空に向かってはっきりとそびえ立っていた。
ある日、村に住む少年、天志はその木の存在を耳にした。
彼の家族は長い間、貧しかった。
天志は家族が豊かになることを願い、この木に向かう決心をした。
彼は昼夜を問わず木の前で祈りを捧げ続けたが、願いは叶う気配を見せなかった。
日が経つにつれて、次第に彼の心には焦燥感が募っていった。
そんなある晩、天志は夢を見た。
夢の中で彼は、願いの木の前に立っていた。
月明かりに照らされた木は異様な美しさを放ち、彼に向かって「お前の願いを叶えてやる。ただし、その代償を支払う覚悟はあるか」と囁いた。
天志はその言葉に心を揺らされながらも、家族の幸せを強く望んでいたため、即座に頷いた。
翌朝、天志は自分の願いを叶えるため、木に向かうと、その幹に手をかざした。
すると、彼の手のひらから微かな光が放たれ、木の根元から「く」と刻まれた奇妙な音が響いた。
その瞬間、彼の視界が変わり、周囲はまるで歪んだフィルムのように揺らぎ始めた。
彼は心臓が高鳴るのを感じながらも、目の前の光景に魅了され、完全にその世界へと飲み込まれていった。
視界に現れたのは、まるで天国のような美しい風景だった。
金色に輝く草原、透き通るような川、そしてそこに舞う無数の光の精霊たち。
それは彼の願いが叶えられた世界だと信じた。
しかし、次第に彼の心に不安が広がる。
願いの木がささやいた言葉が脳裏に蘇ってきた。
「代償を支払う覚悟があるか」。
その瞬間、彼は冷や汗をかきながら、次第に周囲が暗くなっていくのを見た。
光の精霊たちは彼を取り囲み、彼に向かって囁き合っている。
「切り替えなければ、ここから出られない…」
天志は必死で逃げようとしたが、彼の足元には重たい根が絡みつき、逃れることができなかった。
彼の心の奥底には、家族への愛情と同時に、自身が求めたものの恐れが渦巻いていた。
夢の中の自分がこの世界を選んだという事実が、重くのしかかる。
その時、彼の目の前に現れたのは、かつて彼が敬愛していた祖母の姿だった。
祖母は優しい笑顔を浮かべ、「お前の願いが叶ったら、もう戻れないのかもしれない。でも、望みを叶えることだけが幸せじゃない」と優しく語りかけた。
その言葉が、彼の心に響いた。
彼は祖母の言葉をかみしめながら、自分の選択肢を考え始めた。
願いを叶えた代償として何を失うのか?彼は自分の心の中で何が本当に大切なのかを見極め、その答えを模索し続けた。
家族への愛、友人たちへの思い出、そして何よりも自分自身の未来。
それらを手に入れたいという思いは薄れず、やがて彼の心には一筋の光が差し込むように感じられた。
「戻りたい…私が望んでいるのは、ただみんなと一緒にいることだ」と彼は叫んだ。
すると、木が「く」と再び音を立て、世界の景色が劇的に変わり始めた。
彼は根から解放され、焦燥の海から浮かび上がると、目が覚めた。
彼の周りには、まだ昨晩の薄暗い木があった。
だが、彼はもう一度、願いの木の前で考え直すことにした。
彼は家族と笑い合う日々を選んだ。
その後、天志は木の存在を淡々と受け入れ、願いが叶わなくても彼の心の中には、いつも大切なものがあるのだと知った。
木は彼に「望むものを切り捨てた先に、真実の望みがある」と教えてくれたのかもしれない。