町の静けさが、夜の帳に包まれている頃、何かがこの町に忍び寄っていた。
普通の人々が日常に埋没している中で、一人の青年、新井は異様な音に包まれた生活を送っていた。
彼は町外れにあるアパートにひとり暮らしをしており、そこには忌むべき噂があった。
新井がこのアパートに引っ越してから、静かな夜を楽しむことはできなかった。
彼の耳には、どこからともなく聞こえる不気味な音が響いていた。
それは、何かが地面を這いずり回る音、あるいは吐き出された息のような音だった。
新井は次第にその音に慣れてしまっていたが、日を追うごとにその音は彼の心を蝕んでいった。
ある晩、新井は音の正体を確かめるために、意を決して薄暗い廊下に出た。
足元の床板がきしむ音に、彼は緊張を強いられた。
音はますます近づいてくるように感じた。
「誰かいるのか?」新井は心の中で問いかけながら、恐る恐る廊下を進んだ。
彼の足音だけが虚しく響く。
ふと、廊下の奥の方から、低い呻き声が聞こえた。
瞬間、彼の心臓は高鳴った。
恐る恐る近づくと、壁に寄りかかるようにして立っている影が見えた。
それは、見知らぬ中年の男で、顔は青白く、倒れそうなほどの虚弱な姿をしていた。
新井は思わず後退ろうとしたが、その男の目から離れられなかった。
男はゆっくりとこちらを見上げ、「助けてくれ」と呟いた。
その声はかすれ、悪夢のように彼の心に響いた。
新井は、その言葉に嘘偽りがないことを感じ取った。
彼は何かに引き寄せられるように、立ち尽くしてしまった。
「ここから出られない。音が、私を捕まえに来る」と男は続けた。
新井は再び恐怖に襲われた。
男の言葉は、彼が日々耳にしていた音と深く結びついていることを告げていた。
彼が震えながらも問いかけた。
「この音は何なんですか?」
男は、何かを決断するようにため息をついた。
「忌まわしい存在が、この町に住み着いている。その存在が私を取り込もうとしている。音は、私たちの恐怖を体現しているのだ。」彼の口から語られる恐ろしいことが、真実であると確かめるための言葉に感じられた。
新井は続けて「それじゃあ、どうすれば助かるんですか?」と問うたが、男は首を振り、ただ音が間近に迫ってくるのを感じ取った。
「逃げて。もう時間がない。」
その瞬間、廊下に響く音が増大し、新井は思わず心の中で叫んだ。
逃げなくては。
彼は男の視線を最後に背にして、全速力で自室へと走り戻った。
心臓が破裂しそうな音を立て、背後から迫る音は彼のすぐ近くに感じられた。
部屋に飛び込むと、ドアを閉め、鍵をかけた。
しかし、彼の耳には、もはや逃げることができない音が続いていた。
静寂な夜の中で、音は強まり、次第に前触れもなく彼の部屋を突き抜けていく。
新井は過去の恐怖と向き合うことを強いられる運命に逆らえなかった。
彼の頭の中に、男の言葉が生々しく響き続けていた。
「音が、私を捕まえに来る。」その音は、ついに新井の世界に到達し、彼はもはや彼自身の存在を取り戻せないまま、闇の中に飲み込まれていった。
自らが響く音の一部となり、今や彼はその町の忌むべき存在として、その音に囚われ続けている。