「音の彼方に潜む影」

かつて、小さな町に住んでいた田中翔は、音楽を愛する青年だった。
彼は小さなテニスコートの裏に隠れた古い神社で偶然出会った少女、木村美咲と親しくなった。
美咲はいつも川辺で歌を歌っていた。
彼女の声は、周囲の空気を優しく包み込み、翔はその音色に心を奪われた。

しかし、幸せな日々は長く続かなかった。
美咲は突然、音楽の夢を追いかけるためと言い残し、町を離れた。
翔は彼女のことを忘れないと誓い、いつか彼女に会うことを望むようになった。
彼は美咲の歌を思い浮かべながら、自分の楽器を使って曲を作る日々を過ごした。

年月が過ぎ、翔の心には美咲への望が渦巻いていた。
「彼女にもう一度会いたい」。
そんな想いが強くなる中、翔はある夜、古びた神社で不思議な音を耳にした。
それは美咲の声のように聞こえ、優しく翔を呼んでいるようだった。
「あれは美咲の声だ」と直感した彼は、恐る恐る神社へ向かうことを決めた。

深い森を抜け、月明かりの下で神社にたどり着いた翔は、心臓が高鳴るのを感じた。
神社の前に立つと、暗闇から彼女の歌が再び響いてきた。
しかし、その歌声はどこか歪んでいて、心地よさよりも恐怖を感じさせた。
翔は一瞬戸惑ったが、美咲に会えるという期待がそれを上回った。

「美咲!」と叫ぶと、音が途切れ、静寂が訪れた。
少し待つと、目の前にひとつの影が現れた。
それは美咲そっくりの姿をした、どこか冷たい印象を与える存在だった。
翔は立ちすくんだ。
「お前は、美咲なのか?」と問いかける。

「私の声を求めて、ここに来たのね」と影は答えた。
その声は確かに美咲のものだったが、何かが違った。
翔は、不安を抱きながらも「君に会いたかった」と言った。
影は冷たく微笑み、「私も、あなたに愛されたいと望んでいたわ」と返した。

しかし、その言葉には何か不気味な響きがあった。
翔の心の中にあった美咲との思い出が次第に薄れていく。
「これではいけない、君は本物の美咲じゃない!」と翔は叫んだ。
その瞬間、影の顔が怒りに満ち、音楽のように美咲の声が歪み始めた。

「私を手放さないで。あなたがいてくれれば、私は永遠にここにいることができる」と影は訴えた。
翔は恐怖を感じたが、心の奥で彼女への思いが高まる。
「でも、それは私の望みじゃない!」と翔は叫んだ。

その瞬間、影は悲しげに目を細めた。
「それなら、私を解放して」という言葉が響いた。
翔は自らの決断をする時が来た。
彼女の望みを受け入れるのか、拒否するのか。
深い葛藤の末、翔は心を決めた。
「美咲は生きている、私は彼女を求めない!」と叫び、影を振り払い、神社を後にした。

神社の外に出ると、冷えた空気が彼を包み込み、再びあの歌声は途切れた。
翔はどれほどの時間が経ったのかもわからぬまま、森を抜けた。
彼女への思いは消えたわけではないが、彼が選んだ道があったのだ。

それ以降、翔は自らの音楽に向き合い、彼女との思い出を悲しむのではなく、未来を見つけることを決意した。
美咲との過去を抱えつつも、彼は新しい曲を創り続けると誓った。
しかし、音楽を奏でるたびに、心の奥であの不気味な影の声が囁くのを感じざるを得なかった。
「あなたが思い出す限り、私は消えないのだから」と。

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