海辺の小さな漁村。
その村には、噂の絶えない神秘的な存在が住んでいた。
彼女の名は、蓮（はす）。
蓮は、美しい黒髪をたらし、波のように揺れる長いスカートを纏っていた。
海から聞こえる不思議な音に導かれるように、村の男たちは彼女に魅了され、何度も彼女のことを話題にした。
その村では、夕暮れ時になると、空が赤く染まると同時に海から得体の知れない音が聞こえてくるという。
その音は、不気味で、時に美しさを伴った旋律だった。
しかし、蓮は村人たちにとって、ただの美しい少女ではなかった。
彼女が海の近くにいる時、誰もが耳を傾け、その音の正体を知りたくなった。
ある晩、村の青年、健太は友人たちと一緒に海岸でバーベキューを楽しんでいた。
しかし、彼の心はどこか不安定だった。
友人たちが笑い合っている中、健太は海から響く音に引き寄せられていくのを感じた。
その音は、彼の心の奥深くに響き、まるで何かを訴えているかのようだった。
「蓮のところに行ってみよう」と彼は心の中で思った。
友人たちが止める声も聞かず、健太は海の方へと歩を進めた。
潮の香りとともに、音はどんどん大きくなり、彼の心臓の鼓動とリンクしているかのように感じられた。
健太が磯にたどり着くと、蓮が立っている姿が目に入った。
彼女は、月明かりを浴びて神秘的に輝いていた。
その姿は、まるで海に溶け込んでいるようだった。
彼女の周りには、淡い光を放つ波が寄せては返していた。
「蓮…。」彼の声は迷い、耳に残る音にかき消されてしまった。
しかし、蓮は彼の気持ちを感じ取ったのか、静かに振り返り、彼に微笑んだ。
「健太、来てくれたのね。」
彼女の言葉には、どこか引き寄せられるような魅力があった。
健太は一歩近づき、「この音は、何なの？」と問いかけた。
すると蓮は言った。
「この海の音は、真実を語っているの。私たちはそれを聴くために生きているのよ。」
健太はその瞬間、音が彼の頭の中で鮮明に響き渡るのを感じた。
それは様々な声で構成されたメロディだった。
村人たちの笑い声、彼女の声、そして何かの悲しみが混ざり合い、時折波の音に変わるのだった。
彼はその旋律が、村で語られる数々の物語と強く結びついていることに気づいた。
「この音を聞くことで、村の真実が見えるの？」健太が尋ねると、蓮は頷いた。
「でも、その真実を知ることは容易ではないわ。」
その言葉を聞いた瞬間、健太の鼓動が速まった。
再び音が彼を包み込み、彼の体全体に波のような恐怖が広がる。
彼は今までには感じたことのない圧迫感を覚えた。
「戻りたい」と心の中で叫んだが、言葉は出なかった。
「音は終わらない。何かを知ろうとすれば、必ず何かを失うわ。」蓮の目は冷たく、そして寂しげだった。
その瞬間、彼は自分が持っていたものをすべて失う恐ろしさを理解した。
真実が知りたければ、音が奪うものは、決して軽いものではないのだ。
激しい波が彼を飲み込もうと迫ってきた。
恐怖から逃げ出したい気持ちで彼は後ずさりしようとしたが、足元は石で滑り、海へと引き込まれてしまう。
冷たい水に包まれ、彼は蓮の姿が遠ざかっていくのを感じた。
もう彼女の声は聞こえなかった。
その後、村の人々は健太が消えたことを不思議に思い、蓮のことを恐れるようになった。
海の音が再び村を包み込むとき、彼らはその音を警戒し、蓮を避けるようになった。
しかし、海の真実は決して消え去ることはなく、時折村に残された健太の記憶とともに、波の中から響いていた。
