「静寂の中の呼び声」

静まり返った夜、村の外れにあるトに、青年の健二は足を踏み入れた。
彼は友人たちに「幽霊を見に行こう」と軽いノリで誘われ、冗談半分にその場に来たのだ。
村人たちの間で、トには恐ろしい言い伝えがあった。
かつては生きていた者たちの思いが渦巻く場所であり、そこに立ち入った者は、永遠にその思いに囚われると言われていた。

夜の闇に包まれたトに足を踏み入れると、健二は急に不安を覚えた。
星空が見えるはずの上空は、雲に覆われ、月明かりさえも失われていた。
漠然とした恐怖が心を掴み、鳥肌が立つ。
彼は振り返ると、友人たちの気配はすでになく、ただ一人、闇の中に取り残されてしまった。

健二が進むうち、周囲が急に静まり返った。
風の音も、虫の声も、一切が消えたようだ。
彼の足音だけが、空気を切り裂いていく。
すると、視界の端に何かが動いた。
暗闇の中から現れたのは、長い髪を持つ女性の姿だった。
不気味な笑顔が彼の視線を捉え、恐怖が全身を駆け巡る。

「あなた、ここに何をしに来たの?」と、その女性は囁いた。
声は微かだが、耳に心地よい旋律のように響いた。
しかし、その口調には冷たい響きが潜んでいた。
健二は恐る恐る答えた。
「私はただ、友達と来たんです。」

彼女は笑いながら近づいてくる。
「友達?そうか、それなら一緒に遊びましょう。」彼女の言葉は甘美であったが、どこか裏があるように感じた。
健二は後ずさりし、逃げ出そうとしたが、足が動かない。
まるで、誰かに足首を掴まれているかのような感覚だった。

その瞬間、彼女は敬愛する者の名を呼びかけた。
「健二、あの時のことを忘れないで。あなたは結局、私を救えなかった。」その声に、彼はハッとした。
彼女はかつての友人、佳奈だった。
彼女は数年前、湖で溺れたのだ。
救おうとしたが、自分の無力さに絶望し、結果的に助けられなかったのだ。

「そう、その絶望を忘れずに。あなたが私を見捨てたのを、私は絶対に許さない。」彼女の目が赤く光り、体から放たれる冷気に健二は身動きが取れなくなった。
彼は心の奥底から涌き上がる後悔に押しつぶされそうになる。
「助けたかった、でも…」

「でも、あなたは動かなかった。」佳奈は冷酷な声で言った。
「今度はあなたが、このトを離れられなくなる番よ。」彼女の手が伸び、冷たい指先が健二の頬に触れた。
彼の心に、佳奈の苦しみが流れ込み、目の前が真っ暗になる。

彼を取り巻く瞳の数はどんどん増えていく。
かつての佳奈だけでなく、彼女を救えなかった無数の思いがその場に立ち込めていた。
次々と現れる影、無数の声。
彼は己が犯した過ちによって、他者の苦しみを共有する羽目になったのだ。

「あなたが感じる痛みは、私たちの思いを受け入れなかった証。そして、あなたもここに永遠に留まることになる。」佳奈の言葉が響き、無数の影が彼を包み込む。
健二は心の底にある未練や、悲しみを受け入れざるを得なかった。

長い時間が経過したのか、健二はすっかりトに溶け込んでしまった。
彼の無力感は永遠に消え去らず、この場で彼自身が新たな影となり、後に訪れる者たちに警告を送る役割を果たす運命になった。
彼の声が仲間たちの耳に届くことはなく、永遠に語り継がれることもなかった。

ただ、トの奥深くで、健二の声が響いている。
「助けて…」その声は、かつての友人を思い出す者たちにだけ、届くのかもしれない。

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