「霧の中の輪」

ある秋の夜、亮は実家の倉に向かっていた。
古びた木造の倉は、ひっそりとした田舎町の端に佇んでいる。
倉の中には、祖父が残した不用品や思い出の品々が雑然と詰め込まれていた。
背筋を伸ばし、懐中電灯を掲げると、その光が倉の奥へと差し込んだ。

何をするつもりだったのか、亮は忘れかけていた。
大切な物を整理するという名目で、思い出の品を見つけようとする自分がいた。
しかし、その手のひらには、かすかに震える緊張感があった。
倉はまるで長い間封印された秘密を抱えているようで、どこか不気味だった。

陽の光が沈むにつれ、倉の中は薄暗くなり、彼の心に一抹の不安が浮かんできた。
ふと、彼の目に映ったのは、積み重ねられた古いダンボールの輪。
どうしてここにこんなものがあるのか。
亮は近づいて、その上に手を触れた瞬間、急に周囲が静まり返った。
霧が立ち込め、視界がぼやけていく。

亮は焦った。
かつて祖父が話していた言葉が脳裏をよぎる。
「あの倉に入ってはいけない。失ったものが戻ってくるから。」その言葉が重くのしかかり、不安が増幅していく。
だが好奇心に駆られ、彼は輪の間を通り抜け、倉の中を奥へ進んだ。

霧に包まれた空間は、まるで異次元のようだった。
次第に見えたのは、無数の輪が大きく広がっている空間だった。
それぞれの輪の中には、かつて彼が失った記憶や人々の姿があった。
亮はその瞬間、自分が何を失っていたのかを思い出した。
祖父の教えだった。
失った友人たち、亡き家族、忘れ去られた時間が彼の心を掴んで離さない。

「助けて。自己を取り戻して。」という囁き声が、彼の心の奥で響いた。
自分の感情の束縛から逃れたかった。
だが、逃げれば逃げるほど霧は濃くなり、彼の視界は暗闇へと飲まれていった。
逃げ出す道を見失った亮は、自分の名前を叫び続けた。

「亮!亮!助けて!」

その叫びは誰にも響かず、倉の中を無限に繰り返す輪のように回っていた。
やがて、彼の目の前に一つの輪が現れた。
そこには、彼の知らない顔が映っていた。
友人のように見えるが、どこか異質だ。
不安と恐れが彼を襲ってきた。
その輪の中には何かが潜んでいる。

「私を見て。私を認識して。」その声は優しい響きで、亮を優しく誘惑した。
囁きの中に、自分が求めていた感情が隠されているように思えた。
しかし、亮は恐怖から目を背けた。
霧は彼を包み、苦しみを与えるような圧迫感があった。

「失うことを恐れるな。」その囁きが彼の心に直撃する。
亮は思わず立ちすくんだ。
失うことを恐れていたのは自分自身だったのか。
祖父の教えに反して、彼は一歩踏み出す決意をした。

その瞬間、霧が一気に解け、倉は明るくなった。
すると、亮の目の前には過去の影が一掃され、彼は倉の出口へと向かっていった。
やがて、祖父の教えは別の形で彼の心に刻まれた。

亮は外の明るい月明かりの下に立ち、胸の奥から不安が消えていくのを感じた。
彼は失ったものの重荷から解放され、新しい自分を迎え入れる準備ができていた。
しかし、倉の中には今も、失われた記憶たちが静かに眠っているかもしれない。

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