「霧の中の約束」

ある公園の片隅に、いつも静まり返ったベンチがあった。
その周りには街の喧騒が響き渡っているにもかかわらず、そのベンチだけは何か奇妙な雰囲気を醸し出していた。
公園は子供たちの笑い声で満ち、家族連れがのんびりと散歩を楽しむ場所であったが、そこには一つの秘密が隠されていた。

そのベンチには高橋という老人が、毎日決まった時間に座っていた。
高橋はもう80を過ぎており、年老いた顔にしかめっ面を浮かべていた。
子供たちが公園で遊ぶ姿を見守りながら、時折ぶつぶつと呟く姿が周囲からは不可解に思われていた。
人々は彼の存在を気に留めることもなく、ただ通り過ぎるだけだったが、実はその老人には、特別な理由があった。

高橋は世を去った妻、恵美を思い続けていた。
彼女が亡くなってから、彼は生きる希望を失っていた。
だが、ある夜、彼女の声が夢に現れ、「公園のベンチで待っているから、私を見つけてほしい」と言った。
彼は信じることに決め、毎日その公園に足を運ぶようになった。
彼女が待っているというベンチに座り、彼女のことを思い続けたのだ。

ある日、いつものようにベンチに座っていると、一人の少年が近づいてきた。
少年は彼に興味を持ち、「おじいちゃん、何をしているの?」と聞いた。
高橋は少し驚いたが、優しく微笑んで「妻を待っているんだ」と答えた。
少年は彼の言葉を理解できないまま、ただ首をかしげながら楽しそうに遊び続けた。

その日の夕暮れ時、高橋はふと目を閉じ、また恵美の声を聞いた。
「しばらくしたら、おじいちゃんがどれだけ愛していたか教えに行くわよ」。
彼は胸が高鳴り、期待に胸を膨らませた。
しばらくして、目を開けると、辺りは薄暗くなっていた。
すると、不思議な現象が起こり始めた。

公園の空気が一変し、周囲の音が消えていった。
高橋は自分の周りに何かが現れるのを感じた。
彼の視界の片隅に、かすかに女性の姿が見えた。
それは高橋の長年の思いを背負った恵美だった。
ただし、彼女の姿は朧げであり、まるで霧の中にいるかのようだった。

「まさか、本当に現れたのか?」高橋は驚きと感動で胸が高まった。
しかし、恵美はじっと彼を見つめると、泣きそうな顔で言った。
「おじいちゃん、私のことは忘れないでほしい。でも、ここにいる意味はないの。現世は一つだから、離れてほしい」と。

高橋はその言葉に戸惑った。
「だが、ずっと待っていたのに……!私たちは一緒にいるべきだ!」と必死に訴えた。
しかし、恵美は悲しそうに微笑み、「私を見つけてくれたことは嬉しい。でも、あなたが進むべき人生があるの。私を手放して、新しい未来を歩いて」と言った。

高橋は涙を浮かべながら、彼女の手を伸ばし触れようとしたが、その瞬間、彼女の姿は霧のように消えていった。
彼は声を上げて泣き叫んだ。
「恵美、行かないで……!」

周囲に音が戻り始め、静かな公園の景色が元通りになっていた。
しかし、高橋の心には深い喪失感が残っていた。
彼はしばらくその場に留まり、周りの子供たちが遊ぶ姿を見つめていた。
恵美が望んだ未来を、彼も歩まなければならないと理解する時が来たのだ。

それから、高橋は公園に通うのをやめた。
しかし、彼の心の奥深くには、いつまでも彼女への愛が残っていた。
そして彼は、一緒に過ごした日々を大切に思い出しながら、新たな人生を歩んでいくことを決意したのだった。
公園のベンチは静かに佇み、彼らの思い出が風に乗って語り継がれていくことだろう。

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